丸〆猫

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今戸焼 土人形 丸〆猫。昭和戦前型
今戸焼 土人形 丸〆猫。昭和戦前型、背面
今戸焼 丸〆猫。嘉永安政風型。招き猫
今戸焼 丸〆猫。嘉永安政風型。招き猫、背面
「浄るり町繁花の図」嘉永5年、広重画。部分拡大
浅草寺境内、露天風景。羽子板市。今戸焼 招き猫、今戸人形 丸〆猫

丸〆猫(まるしめのねこ)は、江戸時代の文献や考古学的調査による出土品から実在が確認されている最古の招き猫である。東京都台東区浅草浅草寺および浅草神社[1]に由来する今戸焼今戸人形で、招き猫の起源として位置づけられている。全国に「招き猫発祥の地」を称する神社仏閣は複数存在するが、その多くが伝承に留まる中、確かな物証を持つのがこの丸〆猫である。名称は、背面の腰部にある「〇」に「〆」の印に由来し、「金銭や福徳を丸く勢〆(せしめ)る」という縁起を担いでいる。形状は、江戸時代の今戸焼特有の「横座りで頭を正面に向け招く」姿勢[2]を基本とする。

嘉永5年(1852年)に記された地誌武江年表』に拠れば、浅草花川戸に住む老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れて「自分の姿を作り祀れば福徳自在となる」と告げたので、その通りにしたところ利益を得たことが評判を呼び、今戸焼の土人形にして浅草寺三社権現(現・浅草神社)鳥居辺りで老婆によって売り出され大流行になったとある。

藤岡屋日記』中の嘉永5年の項では、浅草観音猫の由来として、浅草寺梅園院境内でひねり土人形を渡世としていた老夫婦の愛猫が、知り合いの飼っていた小鳥を殺めてしまったことに罪を感じて、自ら井戸に身を投げた。その後、老婆の夢に猫が現れ非を詫び「今後はあなたを守りいかなる病でも全快させる」と告げたため、仲間の今戸焼屋が作った猫を拝んだところ、たちまち病が治ったことが評判となり、浅草寺三社権現(現・浅草神社)鳥居辺りで売られ大評判になったことが記されている。同記録には、これらの猫の人形が、当時すでに「招き猫」あるいは「丸〆猫」という呼称で呼ばれていたことも明記されている。

また、江戸名所大津絵節に「浅草の奥山で、御客どん/\招き猫、おばあさんひとりで、おまへが丸〆猫(浅草の奥山の露店で、お客をどんどん呼び込む招き猫、おばあさんが一人でやっているが、それでもお前は丸〆猫で大当たり)」という一節の流行り唄があったことが記されている[3]。奥山とは、江戸時代に浅草寺の西側と北西側にあった盛り場で、見世物小屋や大道芸、茶屋、露店が並び、娯楽の中心地だった地域。浅草寺の山号「金龍山」の「奥」に位置することから奥山と呼ばれるようになったと言われている。

嘉永5年の歌川広重(安藤広重)画の錦絵『浄るり町繁華の図』には、浄瑠璃『軍法富士見西行』の西行の見立てとして、丸〆猫を露店で販売する様子が描かれている。

巷街贅説』(塵哉翁編)の嘉永五年の項では、浅草今戸に暮らす貧しい男が病父を養いながら行商に励んでいたが、父の病で困窮し、家で長く飼っていた猫に「恩があるなら助けてほしい」と冗談めかして語ったところ、猫は姿を消した。以後、父は夜ごと「猫が患部に乗って痛みを癒す」と語り、病状も快復した。やがて「この家の猫を譲ってほしい、木や土の像でもよい」という客が現れ、手遊びで作った土製の猫を売ると好評を博したため、今戸焼の猫を仕入れて浅草寺境内で売り出したところ、評判となって日ごとに買い手が増え、家は豊かになり、父の病も癒えたという。猫はその後現れず、男はこれを恩返しと考えて猫塚を建て供養し、以来、招き猫が盛んに売られるようになり、飾り用の座布団も作り、張り子の品も置くようになったと記されている。

上記の複数の史料記録に拠れば、具体的に浅草寺三社権現(現・浅草神社)の鳥居辺りで売られたことが明記されており、招き猫ゆかりの場所として浅草神社(浅草寺)が最も古い記録を有していることになる。

また都内の近世遺跡からの出土品の中から、丸〆の陽刻のある江戸在地系土質の招き猫も出土している[4]。発掘現場は、尾張藩川田久保屋敷と紀州藩附家老水野家下屋敷の境界に位置する長さ約13mの溝状遺構。川田久保屋敷は、安政6年(1859年)に火事になったという記録があり、出土した丸〆猫には被熱した跡があることから、遺跡出土の丸〆猫は安政年間より以前に存在していたと見なされている。

このような資料から、浅草に由来する招き猫「丸〆猫」は、文献記録・絵画資料・考古学的出土品が揃って確認できる、現時点でもっとも確実な造形物としての最古の招き猫であると考えられる。

出典・参考文献

  • 鈴木棠之・小池章太郎編 編『近世庶民生活史料藤岡屋日記 第5巻 嘉永五年-安政元年』三一書房、1989年5月。ISBN 978-4-380-89500-5 
  • 齋藤月岑『武江年表2』金子光晴校訂(増訂)、平凡社東洋文庫 118〉、1978年。ISBN 978-4-582-80118-7 
  • 有坂与太郎『郷土玩具大成 第一巻 東京篇』建設社、1935年。 NCID BN13424333全国書誌番号:55013692 

補遺

外部リンク

脚注

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