久昌寺 (江南市)
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位置
北緯35度18分33.6秒 東経136度52分29.8秒 / 北緯35.309333度 東経136.874944度座標: 北緯35度18分33.6秒 東経136度52分29.8秒 / 北緯35.309333度 東経136.874944度
山号
嫩桂山[注釈 1]
宗派
曹洞宗
| 久昌寺 | |
|---|---|
![]() | |
| 所在地 | 愛知県江南市田代町郷中47 |
| 位置 | 北緯35度18分33.6秒 東経136度52分29.8秒 / 北緯35.309333度 東経136.874944度座標: 北緯35度18分33.6秒 東経136度52分29.8秒 / 北緯35.309333度 東経136.874944度 |
| 山号 | 嫩桂山[注釈 1] |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 創建年 | 至徳元年(1384年) |
| 中興 | 生駒吉乃 |
| 正式名 | 嫩桂山久昌寺 |
| 別称 | 龍德寺、禪喜寺 |
| 文化財 |
江南市指定史跡・生駒家石造群 2013年(平成25年)10月30日指定[1] |
| 法人番号 | 2180005011320 |
生駒氏との関わり
至徳元年(1384年)に禅喜寺として創建されたのが始まりで、その後、寺号を龍徳寺に改称している[2]。
生駒氏が大和から移住してきた際に菩提寺となった[2]。織田信長の側室であった生駒吉乃が永禄9年(1566年)に病没した際に、「久庵桂昌大禅定尼」の法名でこの寺にまつったことから、寺号が久昌寺に改められた[2]。信長は香華料として660石を寄進した[2]。本堂の西には吉乃の墓をはじめ、生駒氏代々の墓が林立し、これらは平成25年(2013年)10月30日に江南市指定史跡に指定されている[1][2][3]。
江戸時代
文政8年(1825年)に豪潮律師が久昌寺に滞在して法座を開いた際、久昌寺に鎌倉時代から伝来していた『十六羅漢像』の掛軸のうち、第二・第八・第十一・第十五尊の四幅が欠けて十二幅となっているのを知り、足りない四尊を描き上げて十六羅漢としたものが、後に久昌寺より鶴見の總持寺へと寄進された。現在、その十六幅の全てが重要文化財に指定されている[3]。
廃寺へ
令和3年(2021年)、伽藍の老朽化に加え、檀家も少ないことから維持管理が難しくなったため、宗教法人の解散が決定[3]。令和5年(2023年)8月に、法人登記記録が閉鎖された[4]。
伽藍は令和4年(2022年)5月より解体し、跡地は市に売却され2023年度に公園として整備される見込み[5][注釈 3]。なお廃寺後も、吉乃を含む生駒家歴代の墓は残される。また跡地に近接して、旧本尊や吉乃らの位牌を安置する小堂が建てられる予定となっている[5]。
