乙子 (守谷市)
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小字
歴史
地名の由来
承平年間に平将門が守谷に城を築いたとき、万一の場合に備えて本城からこの地まで抜け穴を掘り、そこから落ち延びることにしたといわれている。そしてその抜け穴の出口を落口といい、それが乙口に変わり、そして更に乙子に転訛し、地名になったと言われている。
沿革
- 天暦年間(947年-956年) 乙口から乙子へと改称。
- 1868年(慶応4年)
- 1869年(明治2年)2月23日(旧暦1月13日) 下総知事県に代わり、本格的な行政組織として葛飾県を設置、葛飾県相馬郡乙子村となる。
- 1871年(明治4年)12月25日(旧暦11月14日) 廃藩置県後の県の統合により、葛飾県が生実県、古河県、佐倉県、関宿県、曾我野県、結城県と合併し、印旛県を設置。印旛県相馬郡小山村となる。
- 1873年(明治6年)
- 1875年(明治8年)5月7日 境界変更により千葉県から茨城県に移管。第九大区二小区となる。
- 1878年(明治11年)7月22日 郡区町村制施行。同時に相馬郡が利根川を境に南相馬郡と北相馬郡に分離し、北相馬郡乙子村となる。
- 1889年(明治22年) 北相馬郡高野村、小山村と合併し、北相馬郡高野村大字乙子となる。
- 1955年(昭和30年) 守谷町と合併し、北相馬郡守谷町大字乙子となる。
- 2002年(平成14年) 市制施行により、守谷市乙子となる。