土佐藩上士(馬廻格・300石)乾正方(庄右衛門)の二男として高知城下(現高知県高知市)に生まれる。通称は長三郎で、のち惣次郎と称し、最後は與惣左衛門と名乗った。母は前野定次(山内内匠)の娘。
当初は兄・乾加助が乾正方の惣領であり、土佐藩主・山内豊昌に御目見を済ませていたが、1698年9月10日(元禄11年8月7日)に病死したため、1699年(同12年)にあらためて豊昌に惣領職御目見を命じられた。
1712年(正徳2年)、父・乾正方の名代として、江戸勤番を命じられる。
1715年7月16日(同5年6月16日)、父・正方が病死。
1715年9月15日(同5年8月18日)、土佐藩主・山内豊隆より、亡父跡目(300石)を無相違下し置かれる。
1725年(享保10年)、江戸勤番を命じられる。
1736年10月18日(元文元年9月14日)病死。
墓は土佐国土佐郡薊野村板垣山(現 高知県高知市薊野東町15-12の北東付近)の山頂にある代々墓地に建てられた。