亀井孝 (国語学者)
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業績
「国語学よ、死して生れよ」をテーゼとし、方法論それ自体に対する手厳しい批判精神に満ちていた[1]。いわば「学問の在り方を問う立場の飽くなき提示」という知的運動こそが、亀井の学問の真骨頂であった[1]。「技術的な方法論の適合で事足れり」とする姿勢を嫌い、日本語の実態や国学者たちの仕事にも深く身を置いた上で、言語学の批判的発展を促し続けたのである[2]。
亀井の言語研究の神髄は「人間が関わる以上、言語学の本質は言語史学である」ということにあり[注 1]、国語史に業績を残した[3]。とりわけ日本語の音韻について研究した[4]。
中世文献からキリシタン文献まで研究していたこともあり[注 2]、貴重な古典籍の所蔵者としても知られていて、「亀井本」として利用されてきた文献資料も少なくない[3]。旧蔵の古活字版などは現在、成城大学図書館に収められている[5][6]。
指導学生に田中克彦(一橋大学名誉教授)、山口謠司(大東文化大学教授)[7]、大塚光子(相模女子大学理事長)[8]、中村喜和(一橋大学名誉教授)など[9]。