1886年、旧伊賀旧名張藩主家(藤堂氏)出身の藤堂高矩の二男として、父の赴任地山形県で生まれる。父の没後、亀井家の養子となった。
東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1909年東京帝国大学文科大学西洋史学科卒業。大学院に進学した後、1912年から東京府立第一中学校教諭、1920年から水戸高等学校教授、1923年から一高教授となり、1941年には同教頭。1944年に退官。
戦後、1949年に清泉女子大学文学部教授となり、1961年に退職[1]。1965年、中村喜和らと共にソビエト連邦を訪問し、大黒屋光太夫に関する事績を1か月間調査[2]。1977年に死去