五十瓊敷入彦命
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系譜
記録
墓
五十瓊敷入彦命 宇度墓
(大阪府泉南郡岬町)
(大阪府泉南郡岬町)
墓は、宮内庁により大阪府泉南郡岬町淡輪にある宇度墓(うどのはか、北緯34度19分49.67秒 東経135度10分43.49秒)に治定されている[2][3]。宮内庁上の形式は前方後円。遺跡名は「淡輪ニサンザイ古墳」で、墳丘長200メートルの前方後円墳である。
五十瓊敷命の墓について『日本書紀』・『古事記』に記載はないが、延長5年(927年)成立の『延喜式』諸陵寮(諸陵式)では「宇度墓」の名称で記載され、和泉国日根郡の所在で、兆域は東西3町・南北3町で守戸3烟を付すとしたうえで、遠墓に分類する。これに先立つ持統天皇5年(691年)には有功の王の墓には3戸の守衛戸を設けるとする詔が見えることから、この頃に『日本書紀』・『古事記』の編纂と並行して、『帝紀』や『旧辞』に基づいた墓の指定の動きがあったと推測する説がある[4]。またその際には、日本武尊墓(伊勢)・彦五瀬命墓(紀伊)・五十瓊敷入彦命墓(和泉)・菟道稚郎子墓(山城)をして大和国の四至を形成する意図があったとする説もある[4]。
しかし、中世には荒廃して所在が失われた[3]。明治7年(1874年)に『泉州志』の記載に基づき玉田山に定められたが、明治13年(1880年)に現在の墓に改められている[3]。なお、現墓について『和泉志』では紀小弓の墓としている[3]。
