井上平太
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生い立ち
高橋の郡奉行(350石)の子として、熊本城下の上林町に生まれる。藩校時習館で学問、武芸を学ぶ。武芸は雲弘流剣術、伯耆流居合術、日置流道雪派弓術、大坪流馬術、武田流騎射、函三流砲術を修行。
戊辰戦争
1864年(元治元年)、長州征討に野砲隊隊長の父とともに野砲隊副隊長として出征。1868年(慶応4年)、藩主細川護久に従い上洛。戊辰戦争鳥羽・伏見の戦い勃発に伴い、京都御所の警備に出動し、新選組の隊員数人を斬り倒した。その後、家老米田虎之助(元家老・長岡是容次男)が率いる熊本藩兵の一員として東北戦争に転戦。
警察勤務
廃藩置県後、熊本県飽託郡池上村谷隠に移住し、熊本県警察部の巡査に任官。1885年(明治18年)には陸軍少将乃木希典と親交を結ぶ。1902年(明治35年)11月、明治天皇臨席の陸軍特別大演習が肥後の平野で行われ、平太は天皇の御先乗りを務めた。乃木から馬上杯を贈られ、平太は乃木に村正を贈った。警察には30年間勤務し、警部まで昇任した。違反者はすべて説諭だけで放免し、決して逮捕しない警察官として市民から奇妙な人気があった。
大日本武徳会
1899年(明治32年)5月、大日本武徳会の武徳祭に馬術演武の指導に招かれたという。1921年(大正10年)5月、武徳祭大演武会剣道高齢者の部に73歳で出場し、神道無念流坂部小郎63歳と対戦する。このとき防具を身に着けず試合に臨み、周囲を驚かせた。素面素小手で試合に出場した心境はついに語らなかったという。1922年(大正11年)、禅僧澤木興道の大徹堂で坐禅を修行した。