井上清秀
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井上氏は源頼季末裔の信濃源氏と称する。『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)は、大須賀康高配下の井上清宗(半右衛門、道見)から系譜を起こし、清秀をその子に掲げているが[2]、清秀は実は阿部定吉(大蔵)の子であるとも記しており[2]、このことは阿部家の系図にも記載がある[3]。それによれば、清秀の母の星合氏ははじめ定吉の側室であったが、懐胎したまま清宗に嫁ぎ、清秀が生まれた[2]。清秀は清宗に養われて井上を称し、その家を継いだという[2]。
『寛政譜』によれば、清秀は織田家に仕え、佐久間信盛に附属されて石山合戦に従軍した[2]。徳川家康が織田信長に援軍を求めた際、清秀は援軍の一員として三河国に赴き、大須賀康高に属して遠江国横須賀城の防衛戦に従事した[2]。慶長9年(1604年)9月14日、横須賀において死去、72歳[2]。『寛政譜』によれば、父の清宗と同じ妙龍寺に葬られた[2]。
