京阪30型電車
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 京阪30型電車 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 運用者 | 京阪電気鉄道 |
| 製造所 | 東洋車輌、梅鉢鉄工所、日本車輌製造 |
| 製造年 | 1925年 - 1928年 |
| 製造数 | 12両 |
| 改造所 | ナニワ工機 |
| 改造年 | 1950年 |
| 廃車 | 1965年 - 1968年 |
| 投入先 | 大津線(京津線、石山坂本線) |
| 主要諸元 | |
| 編成 | 1両→2両編成 |
| 軌間 | 1,435 mm |
| 電気方式 |
直流600 V (架空電車線方式) |
| 車両定員 |
60人(着席28人)(改造後) 66人(着席30人)(改造後:32、34、36) |
| 車両重量 |
23.8 t(261 - 273) 23.5 t(274 - 280) |
| 全長 |
10,110 mm(登場時) 10,452 mm(改造後) 10,562 mm(改造後:32、34、36) |
| 全幅 |
2,280 mm(登場時) 2,345 mm(改造後) |
| 全高 | 4,000 mm |
| 車体高 | 3,196 mm |
| 車体 | 半鋼製 |
| 台車 | 住友 ST-18 |
| 車輪径 | 690 mm |
| 動力伝達方式 | 吊り掛け駆動方式 |
| 主電動機出力 |
37.5 kw(新造時) 45 kw(改造後) |
| 出力 |
75 kw(新造時) 90 kw(改造後) |
| 定格速度 | 25.1 km/h |
| 定格引張力 | 1,320 kg/h |
| 制御装置 | 間接非自動制御(改造後) |
| 制動装置 | 電空併用ブレーキ |
| 備考 | 主要数値は[1][2][3][4]に基づく。 |
30型[注釈 1]は、かつて京阪電気鉄道が京都府・滋賀県の路線網である大津線(京津線、石山坂本線)向けに所有していた電車(路面電車車両)である[1][2][4]。
「逢坂の関」を越え京都と大津を結ぶインターアーバンとして1910年に開通した京津電気軌道は1924年に京阪電気鉄道に吸収され、京津線となった。その翌年の1925年から、京津電気軌道開業時から使用されていた1型の置き換え用として製造された、京津線初となる半鋼製車両が30型である[1][6][2]。
車体長は10 m級で、京津電気軌道時代に導入された20型と同様のボギー車であったが、オープンデッキであった20型とは異なり車端に2枚引き戸が設置され、屋根も二重屋根から丸屋根に変更された。また台車は車輪径690 mmの住友ST-18形を採用し、併用軌道区間からも乗降が容易なよう低床化が図られた。集電装置は廃車までポールを用いた。計12両が製造されたが、そのうち「42」については1930年に「43」への改番が行われた[1][7]。
製造後は京津線の普通列車として使用されたが、1949年に発生した四宮車庫の火災により5両が被害を受けた。翌1950年にナニワ車輌で復旧工事を受けたが、その際に損傷を免れた他車も含めて片運転台化が行われた他、乗降扉を1枚引き戸化と高床プラットホームへの対応工事、自動ブレーキの搭載などの改造を受け、以降は2両固定編成で使用された。また火災から復旧した一部の車両(32、34、36)については車体長が窓1つ分長く、定員数も多かった。この30型から始まった「2両編成」は、以降の大津線(京津線、石山坂本線)における編成の標準となった[注釈 2][注釈 3][1][2][4][10]。
改造後は車体の上半分がマンダリンオレンジ、下半分がカーマインレッドという京阪特急色を纏い、京津線の急行列車に用いられたが、1957年以降大津線全体の近代化のため260型の導入が始まった事から、30型は順次石山坂本線へ転属し、塗装も上半分がライトグリーン、下半分がダークグリーンという一般色に変更された。だがその後も300型、350型の増備が進んだ結果、1965年から1968年にかけて全車廃車された[2][1][10][11][12]。