京阪1300系電車

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運用末期の1300系 (1979年夏頃)

京阪1300系電車(けいはん1300けいでんしゃ)は京阪電気鉄道に在籍した通勤形電車である。

太平洋戦争後の1948年から20両が製造された。当時の運輸省規格型電車で、戦後の輸送に大きな役割を果たすとともに、京阪線の車両限界を現在のサイズに広げることにも貢献した。

1983年12月架線電圧の1500Vへの昇圧に伴い廃車された。

製造当時の形式は以下の通りである。製造は川崎車輌(現・川崎重工業)とナニワ工機が担当した。

  • 1300型 制御電動車(両運転台) - 10両(1301 - 1310)
  • 1311型 制御電動車(片運転台) - 2両(1311・1312)
  • 1600型 制御車(片運転台) - 8両(1601 - 1608)

京阪神急行電鉄の一部となっていた京阪線は、戦災での車両喪失が旅客車は2両と少なかった。しかし、車両そのものは戦争の影響で満足な状態ではなく、車両の更新や新造車両が必要な状況であった。1946年にはモーターを持たない付随車の1500型を製造(うち5両は戦時中に車体のみ完成していたもの)したが、当時の統制経済下では電動車の新造は戦災の激しい路線に優先して割り当てられており、京阪線にはなかなか枠が巡ってこなかった。

そうした状況が一段落した1947年に、当時の運輸省が私鉄向けに定めた規格型電車の割り当てが受けられることになり、京阪神急行は50両を計画、その初年度25両のうち10両を京阪線用とした。これが1300系である(残る15両は宝塚線550形となった)[注 1]

この割り当てを受けるに当たっては、同数の中古車を地方私鉄に譲渡することが義務づけられており、京阪線からは100型200型広島電鉄宮島線土佐電気鉄道安芸線に供出されているが、実際の供出数は11両であった[注 2]

最初の1300型10両は1948年に竣工した。17mの車体に2箇所の片開き扉を備え、イコライザー式の台車は京阪では初めてコロ軸受けが採用されていた。規格設計のため、京阪の伝統とは異なり窓は横長で広い幕板が特徴である[注 3]。本形式のデザインについては、妻面のカーブや窓配置が従来の京阪スタイルを引き継ぐ一方で、アンチクライマーの設置位置やパンタグラフ両側の踏み板、扉の左右の吹き寄せ部の寸法などに阪急のスタイルが加えられているという指摘がある[1]。同じ規格型電車として新京阪線に投入された阪急700系とはいわば兄弟分のような関係で、酷似した姿をしていた。塗装は上半分がクリーム、下半分が濃緑色というものであった。

この1300型は車体幅も規格に則って2720mmであったが、当時の京阪線は最大幅を2590mmとしており、そのままでは入線できなかった。そこで各駅のホームを削ることになり、その進捗に応じて運行区間を伸ばしていった。最初は天満橋 - 守口(現在の守口市)間で、その後枚方東口(現在の枚方市)、中書島と伸びて、運用開始から約1年後にようやく三条までの全線で運行が可能となった。登場時は1500型を中間に挟んだ3両編成で運用された。

その後、京阪の再発足を挟んで1950年までの間に1600型を8両、1300型を片運転台とした1311型2両が製造された。なお、1311型と1600型の1両は京阪で初めて車内放送設備を備えた車両となった。また、正面両側の雨樋は1300型が角型の断面だったのに対し、1600型は丸パイプ、1311型は雨樋を外板の下に埋め込む構造に変更されている[注 4]

車両が出揃うと、編成は1300系のみで組まれるようになった。

変遷

脚注

参考文献

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