伊東きよ子
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東宝のインターナショナル・ダンシング・チームのオーディションに合格し、6月にはミュージカル『ノー・ストリングス』にダンサーとして出演するがアキレス腱炎のため踊りを断念。宝塚音楽学校を退学する。
当時日本の若者の間で流行していたフォーク・ソングに注目、歌手への転身を決め、1965年12月19日に日本劇場で開催された『第一回フォークソングフェスティバル』で歌手としての初舞台を踏んだ。
翌1966年5月に来日したアメリカの人気グループ、ニュー・クリスティー・ミンストレルズのオーディションに合格、正式メンバーとなる。そのまま渡米し、ビザが切れる10月までグループに在籍。同時期にキム・カーンズ、ケニー・ロジャースも在籍しており、1966年のシングル、「Beautiful, Beautiful World / A Corner In The Sun」では、伊東とカーンズがツイン・ボーカルをつとめた[1]。なお、1966年10月1日に日本で発売されたニュー・クリスティ・ミンストレルズのシングル、「歌は流れにのって The Music Of The World A Turnin'/太陽がほしいんだ If I Could Start My Life Again」(日本コロムビア LL-973-C)のジャケットに伊東が在籍時のメンバー写真が使用されているが、解説に記載の録音データによれば音源は在籍時のものではない。
帰国後は渡辺プロと契約。1967年6月に日本コロムビアのCBSレーベルより浜口庫之助作の「花と小父さん」でデビュー。ヒット曲となった。
翌年(1968年)の10月にレコード会社をCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEJ)) に移籍し、1970年代前半まで歌手として活動した。
CBS・ソニーからの2枚目のシングルは当初「あなたと暮したい」(表記ママ)、「歌は残ってる」(2曲とも作詞作曲・荒木一郎、編曲・クニ河内)が予定され、1969年2月21日発売の告知が新譜案内等に掲載されたが、直前に中止となった。ジャケットつきの見本盤が存在する。型番はSONA-86023。1998年にCD『オルタナティヴ・フォーク・コレクションvol.2』に未発表曲として初収録。その後『シングル・コレクション』にも収録された。
「花と小父さん」のB面「愛のかけら」は伊東の自作曲であり、アルバム『きよ子と愛とメルヘンと』、『23時の女 -ラブ・イン-』 でも自ら作詞・作曲を手掛けた作品があり、ソングライターとしての顔も持っていた。
現在は引退している。