伊藤博康
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学法石川高時代は、2年夏、3年春の選抜と甲子園に出場。チームメイトに諸積兼司と作山和英がいた。
高校卒業後は、作山とともに東北福祉大学に進学。4年次は主将を務めて春に最多打点、最多本塁打、全日本大学野球選手権で初優勝する。秋はベストナイン。この年は日米大学野球でMVP。
1991年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。
ルーキーイヤーの1992年、緒方耕一、川相昌弘、ロイド・モスビー、原辰徳が故障によりスタメンから外れる[2]という緊急事態に急遽一軍昇格で即1番ライトでスタメンに抜擢されると、5打席で二塁打2本2四球という鮮烈デビューを飾る。ジュニア日本選手権ではサヨナラ打を放ち、優秀選手となる。しかし、その後は続かず1995年10月に巨人を自由契約となり、福岡ダイエーホークスにテスト入団で移籍。しかし、ダイエーでは一軍出場のないまま、1997年シーズン終了後に現役を引退。