佐藤シンイチロウ
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| 佐藤 シンイチロウ | |
|---|---|
| 出生名 | 佐藤真一郎[1] |
| 別名 | シンちゃん |
| 生誕 | 1964年8月16日 |
| 出身地 |
|
| 死没 | 2026年3月23日(61歳没) |
| ジャンル |
オルタナティブ・ロック パンク・ロック |
| 職業 | ドラマー |
| 担当楽器 | ドラムス |
| 活動期間 | 1984年 - |
| レーベル |
キングレコード avex trax |
| 事務所 |
BAD MUSIC GROUP DELICIOUS LABEL |
| 共同作業者 |
the pillows The ピーズ 鈴木淳 吉田仁 KENZI |
| 公式サイト |
*the pillows official web site* Theピーズ-たまぶくロカビリー倶楽部- |
佐藤 シンイチロウ(さとう シンイチロウ、1964年〈昭和39年〉8月16日 - 2026年〈令和8年〉3月23日[2])は、日本のドラマー。ロックバンド、the pillowsとThe ピーズのドラムス担当として活動。血液型はO型。愛称はシンちゃん。
THE POGO、KENZI & THE TRIPSでの活動を経て、the pillowsとThe ピーズの2つのバンドを並行させて活動。詳細は後述の来歴の節を参照のこと。
thee michelle gun elephantのメンバーと親交が深い。1993年頃、当時まだ無名だった彼らに、the pillowsの所属事務所であるBAD MUSIC GROUPを佐藤が薦め、結果メジャー・デビューした。また、デビュー前、ドラムス担当のクハラカズユキが北海道に帰省した際、一時的にサポートドラマーを務めていた。
また、『環七エミちゃんズ』という草野球チームの監督である。メンバーはTOMOVSKYやThe ピーズの大木温之、土田小五郎、ウガンダ、thee michelle gun elephantのチバユウスケやウエノコウジ、クハラカズユキなどがいる。
趣味は競馬。ユニオンオーナーズクラブ所属の「ベイビーイッツユー」というクラブ馬に一口馬主のうちの一人として出資していた(現在は引退)。
来歴
高校時代に小河原良太とバンドを結成。当時はボーカルとギターを担当していたが、ドラムス担当のメンバーが脱退した際にドラムスに転向した。なおこのバンドは、後にTHE POGOと改名して長期にわたり活動することとなる。
1984年、THE POGOでの活動を経て、パンク・ロックバンドのKENZI & THE TRIPSにドラムス担当として参加。また、同バンドのメンバーとして活動中の1986年に、当時まだドラムス担当が不在であったTHE BLUE HEARTSのサポートドラマーを担当した(その際の音源はオムニバス盤『JUST A BEAT SHOW』にて確認することが可能である)。1985年にはTHE LOODSに参加し、シングル「HARD MOUSE」や平沢進プロデュースのアルバム『STOP FUCKIN' AROUND!』をリリース。
以降も、長らくKENZI&THE TRIPSのメンバーとして活動していたが、1989年、ボーカルKENZIの麻薬事故が原因でバンドは解散する(KENZI&THE TRIPSは後に再結成するが、佐藤は不参加)。その直後、同バンドのベースを担当していた上田ケンジに誘われthe pillowsに加入(同バンドでの活動詳細はthe pillows#来歴の項を参照のこと)。
1995年、the pillowsと以前から親交の深かったThe ピーズのレコーディングにゲストとして初めて参加する。The ピーズは1997年に活動が休止されるが、2002年の活動再開後も演奏に参加。結果、正式メンバーとしてThe ピーズに加入することとなった(同バンドでの活動詳細はThe ピーズ#来歴の項を参照のこと)。また、まだサポートとしてThe ピーズに参加していた2003年、真心ブラザーズのYO-KING、奥田民生、The ピーズの大木温之、佐藤の4人でO.P.KINGを結成。ドラムスとボーカルを担当。期間限定で活動をした。the pillows、The ピーズの両バンドでの日本武道館出演を果たしている。
2018年以降、The ピーズには参加していない。2025年1月31日、the pillowsは解散。
2026年3月28日、23日に食道がんのため死去したことがバッド・ミュージック・グループ音楽出版の公式サイトから発表された。61歳没[3]。