佐藤信寛
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人物像
1876年11月、信寛は県令として萩の乱の首謀者前原一誠らを逮捕している[3]。
曾孫にあたる栄作は自伝『今日は明日の前日』の冒頭に
- 私の家はもともと毛利家の家臣で萩に住んでいた。(中略)曽祖父は毛利家本藩の直参だったのだがあまり格の高いものではなかったようだ。しかし、いまから考えると当時の革新派で毛利藩が九州に出兵した時などはその攻撃軍に加わっている。そんなことで明治維新の後は島根県の県令になった
と書いている。
長男の信彦との仲は必ずしも円満ではなく、鼓家を継いだ次男の包武を最も可愛がって、すべての資産や記念品類をこの次男に与えた。ところが鼓家の人々は田布施・佐藤家にさほど興味もなかったので、その記念品類は次々に売り払われてしまったという[4]。
官職を退任後、戎ヶ下の別荘に起居し、蝦洲と号した。隣に郷校「成器堂」のあった別荘には有栖川宮熾仁親王や伊藤博文らが立ち寄ったという[4]。信寛を訪ねた伊藤博文が帰途に残した漢詩が今日に残っている[1]。