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余土村

日本の愛媛県温泉郡にあった村 From Wikipedia, the free encyclopedia

余土村(よどむら)は愛媛県伊予郡のち温泉郡にあった村である。1954年に松山市に編入合併し、自治体としては消滅した。「余土」の名は市立小中学校の名として継承されている。現在は町丁名として「余戸」(ようご)と表記される地域があるが、それは旧余土村域の一部である。

廃止理由 編入合併
松山市、余土村 → 松山市
現在の自治体 松山市
国 日本の旗 日本
概要 よどむら 余土村, 廃止日 ...
よどむら
余土村
余土村の共同田植(1922年)
余土村の共同田植(1922年)
廃止日 1954年10月1日
廃止理由 編入合併
松山市、余土村 → 松山市
現在の自治体 松山市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
郡 温泉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,925人
(国勢調査、1950年)
余土村役場
所在地 愛媛県温泉郡余土村
座標 北緯33度48分56秒 東経132度44分01秒
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地理

位置・地形

松山平野の西部、重信川下流右岸域と、重信川に出合で合流する石手川の下流流域。

平坦な農地が広がる水田地帯。明治期から耕地整理が盛んにおこなわれた。

現在では市街化が著しい。

河川

地名の由来

余土の由来は「和名抄」によると伊予郡余戸(あまるべ)郷に属し、余土に訛って変わったことから誕生したといわれている[1]。

地域・集落

町村制施行による合併成立前の旧村である余戸(ようご)、保免(ほうめん)、市坪(いちつぼ)がそのまま「大字」となった。

合併の準備段階では上記3か村に東垣生(ひがしはぶ)、西垣生(にしはぶ)の2か村も加入し、「出合村」(であい)を新設することが検討されたが、余戸村と西垣生村とが反対し、結局余土村と垣生村に分村することで決着した[2]。

歴史

行政

歴代村長

さらに見る 代, 氏名 ...
代氏名在任時期
初代松田久次郎1890年02月 - 1898年02月
第2代森恒太郎(盲天外)1898年02月 - 1907年12月
第3代玉井春太郎1907年12月 - 1915年12月
第4代池内清間1915年12月 - 1918年01月
第5代竹田次郎1918年05月 - 1922年02月
第6代鶴本房五郎1922年02月 - 1928年03月
第7代森千枝松1928年03月 - 1928年11月
第8代森弥三郎1928年11月 - 1930年12月
第9代池内銀蕩1930年12月 - 1934年12月
第10代鶴本房五郎1934年12月 - 1936年06月
第11代森千枝松1937年03月 - 1938年06月
第12代本田九郎1938年08月 - 1946年08月
第13代森千枝松1946年08月 - 1954年09月
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役場

最初の所在地は余戸字払川の旧庄屋宅の裏手にあった。その後1901年と1905年に移転し、さらに1909年5月余戸字天復寺に移転した[18]。

他官公署

  • 余土村巡査駐在所 - 1889年設置。駐在所の所在地も何度か変更があった[19]。
  • 余戸郵便局 - 1909年開局[5]。
  • 余土村農会 - 1896年発足[20]。
  • 余土村産業組合 - 1908年設立[21]。

教育

両学校共に現在、松山市立となっている。

交通

鉄道

道路

名所・旧跡

  • 日招八幡大神社(大字保免字果里月高森)
  • 三島大明神社(大字余戸竹の宮)
  • 素鵞神社(大字市坪字北青木)

ゆかりのある人物

注釈・出典

参考文献

関連項目

外部リンク

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