倉敷ダム
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| 倉敷ダム | |
|---|---|
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| 所在地 |
左岸:沖縄県うるま市字石川楚南地先 右岸:沖縄県沖縄市字倉敷地先 |
| 位置 | 北緯26度23分19秒 東経127度48分18秒 / 北緯26.38861度 東経127.80500度 |
| 河川 | 比謝川水系与那原川 |
| ダム湖 |
倉敷湖 (ダム湖百選) |
| ダム諸元 | |
| ダム型式 |
中央土質遮水壁型 ロックフィルダム |
| 堤高 | 33.5(15.0) m |
| 堤頂長 | 441.0(200.0) m |
| 堤体積 | 876,000(80,000) m3 |
| 流域面積 | 4.7 km2 |
| 湛水面積 | 77 ha |
| 総貯水容量 | 7,100,000 m3 |
| 有効貯水容量 | 6,900,000 m3 |
| 利用目的 | 洪水調節・不特定利水・上水道 |
| 事業主体 | 沖縄県 |
| 電気事業者 | なし |
| 発電所名 (認可出力) | (管理用発電設備) |
| 施工業者 | 前田建設工業・大城組 |
| 着手年 / 竣工年 | 1989年 / 1995年 |
| 備考 | ()内は脇ダムの値 |


倉敷ダム(くらしきダム)は、沖縄島中部を流れる二級河川・比謝川水系与那原川に建設されたダムである。もとの瑞慶山ダムは嘉手納弾薬庫内にあり、1983年に返還され、瑞慶山ダムを置き換えるダム再開発事業として建設された。沖縄県が管理する洪水調節、不特定利水、及び上水道を目的とした補助多目的ダムである[1]。与那原川だけでなく沖縄島北部の河川から導水管を通して運ばれた水を蓄える役割もある。ダム湖である倉敷湖(くらしきこ)は財団法人ダム水源地環境整備センターが選定するダム湖百選に選ばれた。
展望タワー

ダム周辺は米軍基地(嘉手納弾薬庫地区)でありダムの点検用道路が整備されていない。このため高さ41.5mのタワーを建ててダム管理に用いており、展望室(高さ36m)が一般に無料公開されている。公開時間は午前10時から午後4時30分で、年末年始に休館日がある。展望室は標高109mに当たり、沖縄本島中部一帯が見渡せる。
周辺施設
歴史
1961年、瑞慶山ダムが完成し沖縄島南部の水源として利用されていたが、ベトナム戦争や沖縄返還の経済効果などによって水需要が増加し続け水不足が慢性化した。このため1982年(昭和57年)から1991年(平成3年)にかけて実施された第2次沖縄振興開発計画の一環として瑞慶山ダムの大型化が進められることになった。当初はダムのかさ上げによる対応が検討されたが、ダムに漏水が発生していたことと周辺地層に水を透過させる透水層があったことなどから旧ダムの下流直下に新ダムを建設することになった。1982年(昭和57年)に事業が始まり1989年(平成元年)3月に着工され1995年(平成7年)2月13日に完成した。同年12月31日には周辺整備のためアメリカ軍用地の一部が返還されている。新しいダムは完成するまで瑞慶山ダムと呼ばれていたが、1996年(平成8年)4月1日の管理開始を以て倉敷ダムと名付けられた。
1987年1月22日、倉敷ダム建設の水抜き工事が行われ、ダムの水底から28年ぶりに旧倉敷の集落が姿を現した。沖縄戦以前までは、46数世帯が暮らす倉敷の集落があったが、沖縄戦で米軍に接収され嘉手納弾薬庫となり、1958年には米国民政府がダム建設を通告した。倉敷集落をしのび、ダムにその名が残された[3][4]。
