倉本組
和歌山県和歌山市内に本部を置く暴力団
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来歴
初代 倉本広文
倉本広文初代は、三代目山口組柳川組出身。1958年(昭和33年)に酒梅組鬼頭組事務所に殴り込んだ柳川組8人のうちの1人で、この時、倉本初代は16歳であった[2]。若いころ、JR天満駅そばのホテルで寝込みを襲われ、日本刀で斬りつけられたのを左手で受け止め、左手の神経を断ち切られた[3]。手はくっついたが、親指が動くだけで、後4本は動かなくなったという[3]。奈良市に倉本組本部を置いた。1969年(昭和44年)の柳川組解散後、三代目山口組初代宅見組に加入し、副組長を務めた。
四代目山口組直参となる。
五代目山口組若頭補佐となる。
倉本初代死後、初代倉本組は
二代目 津田功一
倉本初代死後、貴広会に所属。
1999年(平成11年)、津田功一が「貴広会」として直参昇格[6]。
2005年(平成17年)、貴広会を二代目倉本組に改称。六代目山口組若中。
2010年(平成22年)、引退。
三代目 河内敏之
1963年〈昭和38年〉生[6]。
1982年(昭和57年)頃、倉本組初代三誠会会長の盃を受け、渡世入り[7]。
貴広会二代目三誠会会長を襲名[7]。
2008年(平成20年)、河内敏之は二代目倉本組若頭に就任。
2010年(平成22年)、河内敏之は三代目継承した。六代目山口組若中。
2015年(平成27年)10月半ば[8]、山口組分裂が原因で六代目山口組から除籍された。病気療養中となる[9]。その後、同年10月26日、大阪市浪速区桜川[9]の8階建の建物にある三誠会事務所[7]の和室で倒れていたのが発見され、左胸に[7]拳銃で撃った痕が1カ所あり[9]、すでに心肺停止状態であったが[10]、病院に運ばれ死亡が確認された[8][10]。右手近くに38口径の[7]リボルバーが落ちており、争った形跡はなかったという[8]。10月28日・29日に、葬儀が家族葬として大阪市内の寺院で営まれ、六代目山口組からも神戸山口組からも参列者はなかったという[7]。52歳没[9]。
四代目 津田力
1958年〈昭和33年〉12月23日生[11] - 2025年〈令和7年〉7月9日死去[12][13](66歳没)、六代目山口組若頭補佐[11]。
五代目山口組初代倉本組組員[14]。
1998年(平成10年)の初代死去後、倉心会に所属。
五代目山口組初代倉心会本部長[14]。
2008年(平成20年)、六代目山口組二代目倉心会会長[14](2008年組織委員長[15]→2013年髙山若頭付[15]→2014年司忍組長付[15])。
2015年(平成27年)、三代目死去後、二代目
2017年(平成29年)3月、六代目山口組若頭補佐[15] 大阪南ブロック長[11][5]。
2017年(平成29年)5月から株式会社山輝代表[16]。
2022年(令和4年)5月20日、兵庫県公安委員会は、六代目山口組司忍組長(80)と四代目倉本組津田智加良組長(63)の2人に対し、2017年に同県稲美町で発砲事件を起こしたとして服役中の同組系組員に、出所祝いや功労金などの報償を与えることを禁じる「称揚等禁止命令」を出した[17]。命令の効力は出所から5年後までで、組員の服役期間は2025年までの予定。組員に現金を提供するほか、組織内の地位を上げることも禁じられ、違反すれば3年以下の懲役か250万円以下の罰金、または両方が科される[17]。2017年6月に神戸山口組井上邦雄組長の別宅(稲美町)に発砲したとして倉本組組員3人が逮捕され、その後、銃刀法違反と建造物損壊の罪でいずれも懲役7年の判決を受けた[17]。
2025年(令和7年)7月9日、死去[12]。和歌山市内で、7月12日に通夜(施主 司忍、葬儀執行委員長 竹内照明[18])、7月13日に葬儀が行われた[19]。
株式会社山輝代表の後任に六代目山口組若頭補佐 山下昇会長(極粋会会長)が、五代目倉本組組長に四代目倉本組本部長 塚原心一の就任が、大阪南ブロック長には六代目山口組若頭補佐 中田浩司(五代目山健組組長)の就任が内定している[5]。
五代目 塚原心一
六代目山口組二代目
2025年(令和7年)7月、六代目山口組五代目倉本組組長に就任[13]。
2025年(令和7年)9月2日、倉本組本部で盃直しが、取持人 六代目山口組若頭補佐 大阪南ブロック長代理 中田浩司(五代目山健組組長)、推薦人 六代目山口組若頭補佐 大阪北ブロック長 秋良東力(秋良連合会会長)、特別検分役 六代目山口組舎弟野村孝(三代目一会会長)、検分役を六代目山口組幹部吉村俊平(五代目吉川組総裁)と六代目山口組幹部金田芳次(二代目大原組組長)、その他の六代目山口組直参が見届人、媒酌人を六代目山口組直参平松大睦(二代源清田会会長)、により行われた[13]。
2025年(令和7年)12月13日、六代目山口組事始め式の前に盃儀式が行われ、司忍六代目組長と親子盃を交わした[21]。六代目山口組若頭竹内照明(四代目弘道会総裁)が取持人、六代目山口組直参平松大睦(源清田会会長)が媒酌人、六代目山口組若頭補佐ら立会人を務めた[22]。
歴代組長
- 初代:倉本広文(五代目山口組若頭補佐/四代目山口組直参/三代目山口組初代宅見組副組長/三代目山口組柳川組直参)[24] 1998年、病死[4]。
- 二代目:津田功一(2005年 - 2010年引退)(六代目山口組若中/二代目倉本組組長/貴広会会長/初代倉本組)
- 三代目:河内敏之(本名 川地敏之[8])(2010年 - 2015年10月除籍)(六代目山口組若中/三代目倉本組組長/二代目倉本組若頭)2015年(平成27年)10月26日死去、52歳没。
- 四代目:津田
力 (本名 津田 智加良[25])(2015年 - 2025年7月9日死去)(六代目山口組若中/四代目倉本組組長/二代目倉心会会長/初代倉心会)66歳没