入海貝塚
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入海貝塚 | |
| 所在地 | 愛知県知多郡東浦町緒川字屋敷1区48 |
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| 座標 | 北緯34度59分8.0秒 東経136度58分10.5秒 / 北緯34.985556度 東経136.969583度座標: 北緯34度59分8.0秒 東経136度58分10.5秒 / 北緯34.985556度 東経136.969583度 |
| 標高 | 12[1] m (39 ft) |
| 種類 | 貝塚 |
| 面積 | 約1,200 m2[1] |
| 歴史 | |
| 時代 | 縄文時代[1] |
| 追加情報 | |
| 発見 | 大正時代初期 |
| 発掘期間 | 1946年(昭和21年) - 1951年(昭和26年)[1] |
| 国指定史跡 | |
入海貝塚(いりみかいづか)は、愛知県知多郡東浦町にある貝塚。入海式土器の標式遺跡として知られ[2]、1953年(昭和28年)11月14日に国の史跡に指定された[3]。入海神社の境内にある。
約7000年前の縄文時代早期の貝塚である[4]。大正時代初期に確認され、愛知県史跡主事を務めていた小栗鉄次郎がその重要性について指摘をした1938年ごろから研究者の注意を引くようになり[5]、現在までに4度の発掘調査が行われている。
貝塚は入海神社の拝殿と本殿の東側に幅約10メートル、長さ約80メートルの範囲に分布している[6]。出土した貝類はハイガイが約75%、マガキが約15%を占め、他にアカニシやシジミなどがある[1]。このように色々な貝が混じり合っている貝層の中で、カキやマテガイなどが小さな層を成して密集していることがあるが、これは発掘調査報告書『入海貝塚』の執筆者である中山英司によれば、当時の住民が各々の嗜好に従って一種類ずつ選択し、採集していたことを表しているという[7]。
このほか土器や石器、骨角器、土偶、石の鏃、シカやイノシシの骨が出土している[8]が、獣骨の出土はわずかであったことから、狩猟を生業の中心とはせず、海で獲れる豊富な貝類を食生活の支えとしていたと考えられる[9]。
土器は粕畑式土器の系譜を継いでおり、器は厚さ約4ミリで条痕はなく、一本の粘土の紐を螺旋状に巻き付け、その上に鋭い刻み目が入った装飾が特徴とされる。1946年には東海地方の考古学研究に大きな足跡を残した吉田富夫により、その特徴から入海式土器と呼んで縄文早期末の標式土器として用いられることが提唱された[10]。
土偶は全国的にも例の少ない縄文早期後半のものであり、扁平なつくりで、突起によって頭と腕を表しているものとされる、「板状の十字形土偶」と呼ばれるものの一つである[11]。