八木功

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八木 功(やぎ つとむ、 1951年1月2日[1][2] - 2025年11月24日[3])は日本の造形家、特撮監督。造形会社「エキスプロダクション」代表取締役[1][2][4]東京都品川区出身[4]

父親は怪獣「ガメラ」を制作した八木正夫[4][5]、祖父は東宝の造形スタッフとして怪獣「ゴジラ」を制作した八木勘寿[4][5]、叔父は勘寿と共に「ゴジラ」を制作した八木康栄。兄は造形家の八木宏

1965年(昭和40年)、大映初の怪獣映画『大怪獣ガメラ』(湯浅憲明監督)の怪獣「ガメラ」の造形を父親の八木正夫が担当し、功もこれを手伝う。この『ガメラ』や、翌1966年(昭和41年)に同じく正夫が美術で参加した大映京都作品の『大魔神』(安田公義監督)の特撮現場に、彼の後をついて出入りする。正夫はこの年、三上陸男村瀬継蔵鈴木昶らと造形会社「エキスプロダクション」を設立する[6]

1970年(昭和45年)、千代田写真専門学院卒業後に、フリーの写真家として活動していたが、同年12月に旧知の高橋章から誘われ、エキスプロで美術造形のアルバイトに参加する[2][4][5]

1971年(昭和46年)、エキスプロが東映のテレビ特撮番組『仮面ライダー』(毎日放送)の美術全般を担当することとなり、同年2月から高橋と共に美術造形スタッフとしてこれに参加する[4][5]東映生田スタジオに常駐して高橋章をサポートし、撮影用の小道具全般の制作や制作担当の佐久間正光らとともにミニチュア特撮も担当する[2]

1973年(昭和48年)、『仮面ライダー』第80話より「美術」としてクレジットされる[2][4]。次作『仮面ライダーV3』(毎日放送)第40話まで参加した[2]のち、『イナズマン』(NET)の美術を担当する[2][5]。続編『イナズマンF』ではミニチュア特撮全般と、主人公の操縦する万能車「ライジンゴー」のスポットコーナー「ライジンゴーアクション」の特撮監督を務めた[2]

1975年(昭和50年)、台湾の映画会社「東星電影」が台湾版『仮面ライダー』の『閃電騎士』[7]を制作する際、日本人撮影スタッフとして塚田修監督とともに約半年間にわたって台湾に赴任し、美術助手と特撮を担当する。この作品は翌年、『閃電騎士大戦地獄軍団』、『閃電騎士V3』、『閃電五騎士』三部作として台湾で公開された。「仮面ライダーシリーズ」では、同年の『仮面ライダーストロンガー』(毎日放送)まで美術を担当する。

1992年、父の後を継いでエキスプロダクション代表取締役に就任[4][5]

以後もエキスプロのスタッフとして、多数のテレビ・映画作品、各種アトラクションでの美術造形に従事している。

人物・エピソード

脚注

参考文献

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