内村ルツ子 From Wikipedia, the free encyclopedia 内村ルツ子 内村 ルツ子(うちむら ルツこ、1894年3月19日 - 1912年1月12日)は、内村鑑三の長女。数え年19歳で夭逝したが、その死は父内村鑑三に衝撃と大きな影響を与え、キリスト教会全体に波及する再臨運動の原動力となった。 1894年、京都で内村鑑三と妻である静子との間に生まれた。鑑三の愛読する旧約聖書の「ルツ記」からとられ、ルツ子と命名された。1911年に実践女学校を卒業して、父が経営する聖書研究社の社員として働いていたが、その2ヵ月後に原因不明の難病を発症し、12月4日には医師から死の宣告が下された。その後、父の頼みで東洋宣教会の笹尾鉄三郎が信仰を指導した。 臨終の3時間前に、両親と共に聖餐式にあずかり、「感謝」「感謝」と言い、「もう行きます」という臨終の言葉の12分後に死去した。1月13日に今井館聖書講堂で田島進牧師により告別式が行われ、鑑三は「ルツ子の葬式ではなく、結婚式です」と述べた。雑司ヶ谷の墓地に埋葬される時に、鑑三は一握りの土をつかみ、その手を高く上げ、甲高い声で「ルツ子さん万歳」と大声で叫んだ。友人の本間俊平が秋吉の大理石を採掘して墓石を寄贈し、鑑三が「また会う日まで」と刻んだ。墓所は多磨霊園。 影響 鑑三ははっきりとした再臨信仰を持ち、1918年より中田重治らと共に再臨運動を展開する。 内村ルツ子の死を記念してモアブ婦人会が結成され、長く続く。 参考文献 関根正雄『内村鑑三』清水書院1967年 表話編歴内村鑑三(無教会主義)人物 内村鑑三 · 静子 · ルツ子 · 祐之 · 美代子 · 南原繁 · 矢内原忠雄 · 畔上賢造 · 坂田祐 · 斎藤宗次郎 · 塚本虎二 · 中村勝己 · 高谷道男 · 藤井武 · 鈴木弼美 · 関根正雄 · 星野鉄男 · 三谷隆正 · 松田享爾 歴史 札幌バンド(1877-1881) · 不敬事件(1891) · 東京独立雑誌(1898-1900) · 夏期講談会(1900-1902) · 聖書之研究(1900-1930) · モアブ婦人会(1913-) · 角筈聖書研究会(1902-1930) · 教友会(1905-1918) · 今井館(1906-) · 柏会(1909-1916) · 白雨会(1911-1918) · 柏木兄弟団(1918-1921) · 再臨運動(1918-1919) · 洗足会(1923-) 著作 基督信徒の慰(1893) · 求安録(1893) · 余は如何にして基督信徒となりし乎(1895) その他 基督教独立学園高等学校 · キリスト教愛真高等学校 · 愛農学園農業高等学校 キリスト教 ポータル Related Articles