内藤元種
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
享禄4年(1531年)、内藤元康の子として生まれる。天文3年(1534年)に父が死去したことで幼少ながら家督を継ぎ、毛利元就に仕えた。
天文17年(1548年)の6月18日と20日に行われた、山名理興の拠る神辺城(村尾城)への総攻撃(神辺合戦)における城の柵や塀越しの攻防で武功を挙げ、6月23日に毛利隆元から感状を与えられた。この戦いで毛利元就・隆元父子は家臣に多くの感状を出しており、元種もその内の1人だった。
天文19年(1550年)7月12日から7月13日にかけて元就によって安芸井上氏が粛清された直後の7月20日に毛利氏家臣団238名が連署して毛利氏への忠誠等を誓った起請文においては、33番目に「内藤少輔九郎元種」と署名している[注釈 1][1]。
天文23年(1554年)5月5日、元種は24歳で死去した。事情は不明であるが、元種死去の前年である天文22年(1553年)には既に子の元泰が家領を継いでいる。