刈田嶺神社 (蔵王町遠刈田温泉)
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| 刈田嶺神社 | |
|---|---|
|
拝殿 | |
| 所在地 | 宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉仲町1 |
| 位置 | 北緯38度7分28.6秒 東経140度34分35.5秒 / 北緯38.124611度 東経140.576528度座標: 北緯38度7分28.6秒 東経140度34分35.5秒 / 北緯38.124611度 東経140.576528度 |
| 主祭神 |
天之水分神 国之水分神 綏靖天皇 |
| 社格等 |
式内社(名神大)論社 旧郷社 |
| 本殿の様式 | 流造 |
| 別名 | 蔵王権現旅宮(安永風土記) 、水分社(明治5~8年) |
| 例祭 | 5月5日 |
| 地図 | |
「蔵王大権現」の扁額が掛かった木製鳥居
刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)は、奥羽山脈・蔵王連峰の宮城県側、刈田岳東麓の遠刈田にある神社。刈田岳(標高1,758m)山頂の「刈田嶺神社」と対になっており、山頂の同名社を「奥宮」、当社を「里宮[1]」と言う。神体は、夏季に山頂の「奥宮」に、冬季は麓の「里宮」にと、両宮の間を季節遷座している。
「蔵王連峰」の "蔵王" は、かつて両宮が祀っていた蔵王権現に由来する。
歴史
宮城県神社庁と当社が所在する蔵王町教育委員会との間で、当社の歴史が一部異なるため分けて記載した。
宮城県神社庁の説
以下は、宮城県神社庁による当社の歴史である[3]。
「開山せしは何時頃なりしか不明なれど、人皇二代綏靖天皇を奉祀せしこと」と地方伝承として残されている[4]。
社伝(『安永風土記御用書出』・『刈田郡誌』も同)では、役小角が白鳳8年(679年[5])に大和国(現奈良県)に蔵王権現、即ち、天之水分、国之水分、二柱の御神霊を鎮座した吉野山から、「其後文武天皇の御宇」(在位697~707年)、不忘山に蔵王権現を奉還して、山名も「蔵王山」と改めるに至った。この時代は仏教の最も盛んなる時にして、畏くも天皇御自身三宝の奴と称し、行基出でて神仏習合説を唱い、空海(774~835年)、最澄(767~822年)の二僧出ずるに及び、本地垂跡説を説きし頃(平安時代はじめ頃)なりしかば、いつしか神社名も忘れ、「蔵王大権現」と称するに至った。
平安時代後期の前九年の役の頃になると、安倍氏が当社を己が氏神として神殿の改築したという。 戦国時代に至り、当地方は出羽領に属し、最上出羽守厚く尊崇し五十町歩を寄進して、当社の神田とした(後段『刈田郡誌』1928)。上杉氏は家臣甘糟氏(甘糟備後守清長 1598-1600年白石城主)に守護させた。
その後伊達氏代りて陸奥に覇を握るや、己が守護神として家臣片倉小十郎(白石城主1602年12月~)に守護させ、伊勢神宮に倣って21年毎の改築(遷宮)を始めた。伊達政宗が仙台藩をたてると、仙台城の鬼門(北東)除けを金華山(黄金山神社)、病門(南西)除けを当社と見なして重要視するようになる。
明治維新で神仏分離が行われると、明治5年(1872年)4月に「水分神社」と改称し、さらに明治8年(1875年)に「刈田嶺神社」を称するようになった。旧社格は、遠刈田の刈田嶺神社を郷社とした。
蔵王町教育委員会の説
以下は、蔵王町教育委員会による当社の歴史である[6]。
蔵王山頂に鎮座する蔵王大権現は、天武天皇8年(679)に、役の行者の叔父 願行(がんぎょう)が勧請したものと伝えられる。蔵王大権現社は往古より蔵王一帯の修験者を統括し、大刈田山(青麻山)東麓の「願行寺」が管理した。平安時代末期(12世紀末)には奥州藤原氏の庇護も受け、願行寺は繁栄し、子院四十八坊を形成するまでになった。奥州藤原氏が滅亡とともに衰退し、戦国時代には兵火による焼失も加わって、戦国時代末期には山之坊・宮本坊・嶽之坊の3坊にまで減少した[7]。
後に、山之坊は廃れ[8]、宮本坊は宮蓮蔵寺となり[9]、嶽之坊は金峯山蔵王寺嶽之坊と号し、蔵王山参詣表口を統括した[10]。御山詣りが流行した江戸後期以降は、多くの参詣者を山頂の蔵王大権現へと導く役を担った。雪深い蔵王山は冬の参詣ができないため、例年、十月八日から翌四月八日までは御神体を遠刈田の「蔵王大権現御旅宮」(おかりのみや)に遷すようになった。この御旅宮は嶽之坊と同一の場所にあるなど、古くから嶽之坊と蔵王大権現社とは、同体ともいえるほど深くつながっていた。
明治維新で神仏分離が行われると、吉野では「蔵王権現」を神号とし、従前の僧侶が神官となった。これに従って当地でも明治2年(1869年)7月に「蔵王大権現」を「蔵王大神」へと改号。さらに同年9月、「蔵王大神」とは「天水分神および国水分神」の2柱であるとの解釈から、社号を「水分神社」(みくまりじんじゃ)に改称した。なお、この時期に修験道の「蔵王大権現」を管理していた真言宗の嶽之坊は、神道の神社となった当社と合一したと見られる。明治8年(1875年)に「水分神社」は「刈田嶺神社」と称するようになった。
五輪堂
アクセス
- 鉄道:東北新幹線・白石蔵王駅または東北本線・白石駅よりミヤコーバスで約50分、遠刈田温泉下車。
- 高速バス:仙台駅前のさくら野百貨店前34番のりばからミヤコーバス・特急仙台 - 村田・蔵王町線で72分、遠刈田温泉下車。
- 自動車:
- 東北自動車道・村田ICまたは白石ICから宮城県道12号白石上山線を経由して約17km。
- 山形自動車道・宮城川崎ICから国道457号または宮城県道47号蔵王川崎線を経由して約12km。
同名の神社
| 所在地 | 現称 | 別名 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 県 | 郡 | 町 | 地区 | 位置 | |||
| 宮 城 県 |
刈 田 郡 |
蔵王・刈田岳(熊野岳から遷宮) | 山頂周辺には神威を現す噴火口 | 北緯38度7分39.7秒 東経140度26分56.42秒 | 刈田嶺神社 | 奥宮 | |
| 蔵 王 町 |
東麓・遠刈田温泉の嶽之坊跡地 | 北緯38度7分28.61秒 東経140度34分35.57秒 | 刈田嶺神社 | 里宮 | |||
| 青麻山(大刈田山)(北緯38度05分05.1863秒 東経140度36分27.1756秒 / 北緯38.084773972度 東経140.607548778度) | 山体(大刈田山)を祀る嶺神社を西山の白鳥社(日本武尊)に合祀 | 北緯38度3分1.1秒 東経140度39分11.7秒 | 刈田嶺神社 | 白鳥大明神 | |||
なお、山形県側にも、蔵王大権現(刈田嶺神社)(山形市下宝沢)、刈田嶺神社(山形市蔵王半郷字石高)、刈田嶺神社(上山市金谷)がある。
