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剱岳

富山県にある立山連峰の山 From Wikipedia, the free encyclopedia

剱岳(つるぎだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰にある標高2,999 m[1]の山。富山県の上市町と立山町にまたがる。中部山岳国立公園内にあり[3]、山域はその特別保護地区になっている。日本百名山[4]および新日本百名山[5]に選定されている。立山、鹿島槍ヶ岳、唐松岳と並び、日本では数少ない氷河の現存する山である[6][7]。

位置 北緯36度37分24秒 東経137度37分01秒[2]
概要 剱岳, 標高 ...
剱岳

剱岳早月尾根(2010年1月)
標高 2,999[1][2] m
所在地 富山県中新川郡上市町、立山町
位置 北緯36度37分24秒 東経137度37分01秒[2]
山系 飛騨山脈(立山連峰)
種類 氷食尖峰
剱岳の位置(富山県内)
剱岳
剱岳 (富山県)
剱岳の位置(日本内)
剱岳
剱岳 (日本)
プロジェクト 山
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最終氷期に発達した氷河に削り取られた氷食尖峰であり、その峻険な山容のため、登山家からは「岩の殿堂」とも「岩と雪の殿堂」とも呼ばれている。北から東の方角には、大窓をはじめとする「窓」と呼ばれる懸垂氷食谷が発達し、うち「三ノ窓」と「小窓」の両谷には、日本では数少ない現存氷河である三ノ窓氷河と小窓氷河を擁する。南東の方角には日本三大雪渓の一つである剱沢雪渓があるが、こちらは氷体を伴わず、氷河ではない。飛騨系の閃緑岩と斑れい岩の硬い岩から構成され、それを輝緑岩が貫いている[8]。山の上部は森林限界のハイマツ帯で、ライチョウの生息地であり、アオノツガザクラやハクサンイチゲなどの高山植物が自生している。

一般登山者が登ることが出来る日本国内の山の中では、最も危険度が高い[9]。これは、山頂までの登山道において岩稜伝いの鎖場や梯子などが連続することによる。代表的な難所として、別山尾根ルート登りの「カニのタテバイ」、同下りの「カニのヨコバイ」、早月尾根ルートの「カニのハサミ」と呼ばれる鎖場があり、これらを含め登山道上で転落・滑落事故などが多く発生している。また、多くの一流登山家も、岩場や雪山で命を落としている。

地理

剱岳山頂から望む飛騨山脈の山々(解説なし画像)
剱岳山頂から望む富士山・南アルプス・中央アルプスの山々

飛騨山脈の三俣蓮華岳から分岐して北に長く延びる立山連峰の主稜線上にあり、北には毛勝三山、南には別山、立山へと尾根が延びる。東側では黒部川を挟んで飛騨山脈の主稜線である後立山連峰と対峙している。

周辺の山

源流の河川

源流となる以下の河川は日本海へ流れる。

氷河

鹿島槍ヶ岳から望む三ノ窓氷河と小窓氷河

剱岳東面と西面には雪崩涵養型の小規模な氷河が存在し、東面の氷河は黒部川の水源の一つとなっている。

  • 小窓氷河 - 全長約900 m、面積約0.17 km2。
  • 三ノ窓氷河 - 全長約1,200 m、面積約0.13 km2。
  • 池ノ谷氷河
小窓氷河
三ノ窓氷河
池ノ谷氷河
剣岳の3氷河の空中写真。3画像とも1976年9月16日撮影。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成

山名

「剱」の名称が初めて文献に現れたのは1585年(天正13年)に豊臣秀吉が近畿の寺社大名に送った書状とされ、「先勢東は立山つるぎの山麓まで悉く放火せしめ候……」とある[10]。古くは剱岳(劒嶽)のほかに劔ヶ嶽、劔峰、劔山などの呼称も用いられた[10]。

また、「剱」の字には多くの異体字があり、「剱」や常用漢字の「剣」のほか、劍・劒・劔・釼など10以上の異表記があった[10][11]。旧来の表記は「劒嶽」であるが、1913年の陸地測量部発行の地形図では「劔」の字が使われ[11]、国土地理院の地形図では数度の変更を経て2003年までは「剱」の偏と「劒」の旁を組み合わせた字体が採用されていた[11][12]。

上市町は1989年に「剱岳」表記に統一することを決定したが、その後も国土地理院や報道機関、町内の刊行物でさえも表記は統一されなかった[13]。2003年、上市町は改めて「剱岳」に統一する要請を行い[13]、立山町の同意も得た上で2004年発行の地形図から「剱岳」に表記が改められた[12]。一般には常用漢字表の字体を用いて剣岳と表記されることも多いが、今日における正しい表記は「剱岳」となる。

北陸新幹線やかつて運行していた寝台特急列車の名称「つるぎ」は、当山に由来する。

信仰

山頂に鎮座する祠

剱岳は古来、立山修験と呼ばれる山岳信仰の対象であり雄山神社の祭神の一柱である天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の神体として信仰を集めてきた。一方立山信仰では「針山地獄」とされ、立山連峰のほかの頂から参拝する山であって、登ることが許されなかった。

『日本百名山』の著者である深田久弥は『万葉集』に見える「立山(たちやま)」について、これは今の立山ではなく剱岳のことであろうという自説を展開している[4]。

歴史

見つかった鉄剣のレプリカ(地図と測量の科学館展示品)
見つかった錫杖のレプリカ(地図と測量の科学館展示品)
山頂に設置されている三角点

空海(弘法大師)が草鞋千足(三千足または六千足ともいう)を費やしても登頂できなかったという伝説がある[4]。近代登山としての歴史は浅いが、古くから山そのものが不動明王として崇拝され、信仰対象として修験者が登っていた[8]。明確な記録に残る初登頂は、1907年に陸軍参謀本部陸地測量部の測量官、柴崎芳太郎が率いる測量隊が達成したものである。このときの案内人は地元在住の宇治長次郎であったが、宇治自身は信仰上の理由から山頂は踏まなかったとする説が有力である。これについては一切文書の記録がなく、新田次郎が『劒岳 点の記』を執筆した際の資料などに伝聞記録があるのみである[14]。

柴崎隊以前に数例の登山の記録や伝説・口碑が存在する[14]。測量隊の測夫・生田信らによる最初の登頂の際、錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖頭が発見された[15][16]。山頂近くの岩屋には古い焚き火跡も認められた。これらの遺物は当時の鑑定では奈良時代後半から平安時代初期にかけて登頂した修験者のものと考えられた。これらの遺物は立山修験の貴重な証しとして柴崎が保管していたが、1959年に錫杖頭が重要文化財に指定された[17]。柴崎の死後は、遺族から寄贈されて立山町芦峅寺の富山県立山博物館に展示されている。

柴崎らは、登頂の困難さから重い三角点標石や特にかさばるやぐらを組む丸太を運び上げることができず、山頂には立ったものの三等三角点の設置を断念し、山頂には標石のない四等三角点を置いた。また、三角点の設置場所を記載する「点の記」の作成は三等以上との規定のため、剱岳の点の記は作成されなかった。

  • 1907年(明治40年)
    • 7月13日 - 生田らが長次郎雪渓ルートから本峰の登頂に成功。
    • 7月28日 - 柴崎らが登頂。この登頂日は長らく不明だったが、2007年(平成19年)に「四等覘標高程手簿」が発見され、柴崎の登頂日が明らかになった[18]。なお、新田次郎は、当時の天気図などから1回目の登山日を7月12日、柴崎が登山した2回目の登山日を7月27日としている。
  • 1909年(明治42年)7月24日 - 民間人による最初の登頂が石崎光瑤、河合良成、吉田孫四郎、野村義重によって達成。このときの案内人も宇治であった。
  • 1913年(大正2年)8月11日 - 小暮理太郎と田部重治が別山尾根から登頂[8]。
  • 1917年(大正6年)- 冠松次郎が西面の早月尾根から登頂[19]。
  • 1923年(大正12年)7月 - 早稲田大学パーティーが八峰V峰・VI峰を登攀。
  • 1924年(大正13年)7月 - 剱沢小屋(現在の剣山荘)が設置。それ以前に小屋掛けがあったとする説がある[20]。
  • 1926年(大正15年)1月 - 慶應義塾大学のパーティーが冬季の初登頂を達成。
  • 1927年(昭和2年)
    • 7月 - 旧制三高パーティーの西堀栄三郎・今西錦司・高橋健治・四手井綱彦が、剱岳クレオパトラニードルを登攀。
    • 8月 - 旧制三高パーティーの西堀栄三郎・今西錦司・高橋健治が、三ノ窓チンネ左方ルンゼを初登攀。
  • 1929年(昭和4年)
    • 5月 - 甲南高パーティー伊藤愿・西村格也が、早月尾根・八ツ峰を登攀。
    • 6月 - 旧制四高パーティーが、池ノ谷右俣から登頂。
  • 1935年(昭和10年)7月 - 甲南高パーティーが、池ノ谷剱尾根ドームを登攀。
  • 1951年(昭和26年)7月 - 魚津高パーティーが、八ツ峰六峰Aフェイス魚津高ルートを初登攀。
  • 1955年(昭和30年)
    • 7月 - 名古屋大学OBパーティーが、源次郎尾根I峰平蔵谷側上部フェイス名古屋大ルートを初登攀。
    • 7月 - 魚津高OBパーティーが、源次郎尾根I峰平蔵谷側下部中央ルンゼを初登攀。
  • 1955年(昭和30年)8月 - ベルニナ山岳会が、剱尾根ドーム稜・池ノ谷中央ルンゼ上半を登攀。
  • 1956年(昭和31年) - 早月尾根ルートの拠点となる上市町営馬場島荘が完成。北方稜線(黒部峡谷側)からのルートの拠点となる池の平小屋が営業開始。
  • 1957年(昭和32年)7月 - 日本山嶺倶楽部が、八ツ峰六峰Bフェイスを登攀。
  • 1958年(昭和33年) - 志鷹新正が仙人池ヒュッテを建設。
  • 1959年(昭和34年) - 早月尾根の標高約2,100 m地点に早月尾根避難小屋が完成。
    • 元日 - 京都府立大学山岳部の高田直樹と角倉光彦が、東大谷G1厳冬期初登攀。
    • 8月 - 京都府立大学山岳部の高田直樹と木村勉が、八ツ峰VI峰Bフェース正面ルート(京府大ルート)を初登攀。
  • 1960年(昭和35年) - 富山県登山条例が施行され、東大谷が危険区域として入山禁止となる。
  • 1966年(昭和41年)3月26日 - 富山県が積雪期の剱岳周辺の登山届出に関する富山県登山届出条例を施行[21]。
  • 1968年(昭和43年) - 1969年(昭和44年) - 年末年始にかけての暴風雪や雪崩などで、登山者18名が死亡する大量遭難事故が発生。
  • 1971年(昭和46年) - 早月尾根の要所に、佐伯伝蔵が「伝蔵小屋」を開業。その後「早月小屋」に改名[22]。
  • 2004年(平成16年)8月 - ヘリコプターによって資材を輸送し、三等三角点を設置。
  • 2005年(平成17年) - 翌年にかけての平成18年豪雪により、剣山荘が倒壊。
  • 2007年(平成19年)7月 - 再建した剣山荘が宿泊営業を再開。
  • 2012年(平成24年)11月15日 - 三ノ窓雪渓と小窓雪渓が氷河である可能性が高いとする調査結果を、立山カルデラ砂防博物館学芸課長の飯田肇と同学芸員の福井幸太郎が、国立極地研究所で開催中の極域気水圏シンポジウムで発表[23]。

標高の変遷

  • 1907年(明治40年) - 測量官の柴崎芳太郎は、周辺の山々の三等三角網の測量によって、山頂の独立標高点(現在の「標高点」)を2,998.02 mと計算した。
  • 1930年(昭和5年) - 地上写真測量で、3,003 mとされた。
  • 1968年(昭和43年) - 航空写真測量で、2,998 mとされた。修正を行った国土地理院は、従前の標高は参謀本部が求めたものとし、当時、剱岳が3,000 m級となることを期待する地元の政治的圧力の存在を示唆した[24]。
  • 2004年(平成16年) - ヘリコプターを使った資材輸送により三等三角点「剱岳」が設置され、GPS測量により、2,997.07 mが求められた[25]。水平測量による最高点との差を足して「剱岳」の標高は2,998.6 mとなり、2,999 mと公式に定まった[1]。このとき、国土地理院により作成された「三等三角点「剱岳」点の記」では、選点日時を「明治40年7月13日」とし、選点者として柴崎芳太郎の名前が記載された[26]。
  • 2009年(平成21年) - 元国土地理院の山田明が国土地理院の協力でGPSなどにより行った測量では、2,998.42 mであった[27]。

登山

別山尾根ルート上の難所、カニのタテバイ
早月尾根ルートの下り

登山ルート

一般登山者向けの登山ルートは以下の2つがある。両ルートとも、途中の山小屋に一泊して、翌日山頂を目指すのが一般的である。

富山県が公表している山のグレーディングでは、別山尾根ルート往復に要する体力度は、1から10まで10段階中の「5」(1泊以上が適当)、技術的難易度はAからEまでの5段階中で最高難度の「E」(地図読み能力、岩場・雪渓を安定して通過できるバランス能力や技術が必要。ルートファインディングの技術、高度な判断力が必要)となっている。早月尾根ルート往復では、体力度が「6」(1 - 2泊以上が適当)、技術的難易度は同じく「E」である[28]。

別山尾根ルート[29]
立山黒部アルペンルートの室堂ターミナルから雷鳥沢を登りつめ、剱御前小舎に出て剱沢を下り、ルート上にある剱沢小屋・剣山荘を通過し、一服剱・前剱を経て「カニのタテバイ」と呼ばれる高さ数十 mの鎖場を登って山頂に至る。山頂からの下山ルート上にも「カニのヨコバイ」と呼ばれる鎖場がある[10]。
早月尾根ルート[30]
上市町馬場島から早月尾根を登り、山頂直下で別山尾根ルートに合流する。標高1,000 m地点に立山杉原生林のある松尾平、標高2,200 m地点に早月小屋がある。高山植物が豊富だが、登山口である標高762 mの馬場島から2,999 mの山頂まで標高差2,237 mに上る、北アルプス三大急登の一つに数えられる長大な尾根であり[31]、体力を消耗する上、ルート上部では痩せ尾根、ガレ場、鎖場が連続する[32]。また、ルート上に水場はない[33]。馬場島までの公共交通機関はなく、アクセスは自家用車やタクシーなどに限られる。別山尾根ルートと比較すると登山者は少ないが、アルペンルートが休業する冬季はこちらが最も一般的なルートとなり[10]、毎年末には山頂を目指す登山者で賑わう。馬場島には宿泊施設の「馬場島荘」とキャンプ場があり、前日泊も可能。

このほかにバリエーションルートとして、仙人池・池ノ平から小窓・三ノ窓を経る北方稜線ルート、八ツ峰または源次郎尾根(佐伯源次郎の名に由来)をたどる稜線縦走ルート、雪渓をつめる長次郎谷(宇治長次郎の名に由来)、平蔵谷、武蔵谷、三ノ窓雪渓、池ノ谷左俣・右俣などの各ルートのほか、北アルプス開拓の歴史の一部をなす数々の登攀ルートがあるが、いずれも一般登山者向きではない。

剱岳の岩場

剱岳の岩場は谷川岳、穂高岳とともに日本三大岩場に数えられ、ロッククライミングのメッカとなっている。

  • チンネ
  • ジャンダルム
  • 小窓王
  • 八ツ峰VI峰フェース群(Aフェース、Bフェース、Cフェース、Dフェース)
  • 八ツ峰三ノ窓側(函ノ谷、菱ノ谷)
  • 源次郎尾根I峰平蔵谷側側壁、源次郎尾根II峰平蔵谷側側壁
  • 本峰南壁、本峰北壁
  • クレオパトラ・ニードル
  • 東大谷(中尾根、駒草ルンゼ、富高ルンゼ)
  • 池ノ谷
    • 右俣(中央ルンゼ、右俣奥壁)
    • 剱尾根(ドーム北壁、ドーム南壁)
    • デルタフェース
  • 小窓尾根白萩川側フェース群

周辺の山小屋

周辺の登山ルート上には、以下の山小屋がある[34]。一部の山小屋にはキャンプ指定地が併設されている。登山シーズン中に営業を行い、期間外は閉鎖される。

  • 別山尾根ルート:剣山荘 - 剱澤小屋 - 剱御前小舎
  • 早月尾根ルート:馬場島荘 - 早月小屋
  • 北方稜線ルート:仙人池ヒュッテ - 池の平小屋
  • 源次郎尾根ルートほか:真砂沢ロッジ

登山届出条例(積雪期)

冬季の剱岳は日本海側気候のために豪雪になり、元来の峻険さと相まって登山条件は一層厳しく、毎年のように遭難事故が発生している。富山県は1966年に富山県登山届出条例[21]を定め、剱岳周辺について「危険地区」とした上で、12月1日から翌年5月15日までの間に危険地区に立ち入る者に対し事前に登山届の提出を義務づけており、登山届の内容が不適当であった登山者に対しては必要な勧告が出され、また登山届の不提出や虚偽記載などの違反行為に対しては罰金が科せられる。さらに危険地区の中でも東大谷および池ノ谷を中心とする区域を「特別危険地区」とし、12月1日から4月15日までの期間は特別危険地区へ立ち入らないよう求めている。

条例では劔岳への積雪期登山に際し、以下の内容を指導している[35]。

  1. 12月1日から4月15日までは、単独登山の計画は中止すること。4月16日から5月15日までは、経験や日程などから判断して明らかに危険とみなされる者は単独登山の計画を中止または変更すること。
  2. 12月1日から4月15日までは、特別危険地区へ入山する計画は中止するか、またはコースを変更すること。
  3. 12月1日から4月15日までは、パーティーの構成メンバーの2人に1人を積雪期登山の経験者とし、かつリーダーは積雪期登山経験の豊富な者であること。4月16日から5月15日までは、パーティーの構成メンバーはできるだけ多くの積雪期登山経験者であること。
  4. 日程には12月1日から2月末日までは7日以上、3月1日から4月15日までは5日以上の予備日を含めること。
  5. 登山方式、パーティー編成や行動予定などから判断して装備および食糧が明らかに不備と認められる場合は、計画を再検討し必要なものを携行すること。
  6. 12月1日から4月15日までは、パーティー間および基地との連絡のためトランシーバーを携行すること。
  7. 山岳団体に所属していない者については、既存の山岳団体に加入するか、新たに山岳団体を組織することを推奨する。
  8. 遭難時の捜索費用に充てる保険に加入していない者については、加入を推奨する。

遭難対策

上市町観光協会によれば、1959年から2016年までの剱岳方面での死者数は345人である[36]。2019年に富山県内で発生した山岳遭難事故のうち、剱岳で発生したものは人数比で24 %を占め、特に死亡や重傷、行方不明などの重大事故が多かった[37]。

早月尾根ルートの登山口である馬場島には、県条例で登山計画の届け出が義務付けられている毎年12月1日から翌年5月15日まで、上市警察署馬場島警備派出所が開設されている。派出所には富山県警察山岳警備隊員が交代で常駐するほか、年末年始は早月小屋で隊員が待機する体制が整えられる[38]。

剱岳の風景

剱岳が登場する作品

小説

  • 劒岳 点の記(新田次郎、1977年、文藝春秋) - 剱岳の測量に従事した柴崎らを追ったノンフィクション。
  • 小窓の王(原岳、2024年、幻冬舎) - 厳冬期の小窓尾根で発生した遭難事故を巡る人間模様を描く[39]。

映画

  • 劒岳 点の記(監督:木村大作、2009年) - 上記の同名小説を原作とする。主要キャストが実際に山に登ってロケ撮影が行われた。

テレビ番組

脚注

参考文献・関連図書

関連項目

外部リンク

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