十勝岳温泉
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温泉街
歴史
開湯の功労者は、1963年に凌雲閣を開業した会田(あいた)久左エ門である。満洲からの引き揚げ後、妻の実家がある上富良野町に移住。十勝岳付近をスキーも使って回り、登山案内図や道路標識を設置する仕事に就き、1959年(昭和34年)、安政火口(旧噴火口)で源泉を発見した[1]。
当温泉を含む土地開発は地元商工会により計画された「十勝岳産業開発道路計画」の下、1959年12月開催の地元町議会において、道路開発に関する請願が採択されたことから本格化した[10]。
1960年(昭和35年)5月、地図作成のための測量中、安政火口の渓谷に満ちている温泉に気付き源泉発見。翌年6月から本格的に温泉掘削(ヌッカクシフラヌイ川上流1,250m地点[11])に着手、3ヶ月後に湯温43℃、毎分250リットルの湯元を確保[4]。
しかし、当地が未だ道路開通していない高所である故、温泉開業するためには、道路開削から始めることになる[4]。
測量調査・温泉建設に関する認可申請や自衛隊との協議などを経た翌1961年(昭和36年)7月町議会で産業開発道路を町道「十勝岳線」として認定。同年、自衛隊と自衛隊法第100条に基づく工事の委託契約を結び、同年8月中茶屋で起工式を挙げ、道路工事が始まる[10]。
そのような環境の中、山小屋「凌雲閣」[12]は、道路工事途中の1963年(昭和38年)7月営業開始[4]し、温泉営業の歴史が始まる。しかし実際は、「前年冬、一部未完成のまま宿泊も含め仮営業していた」との記録がある[11]。
町はこの産業開発道路によって、「温泉を中心とした観光事業の振興」「翁温泉跡(現・思惟林附近)[8]一帯の褐鉄鉱[13][14][15]・旧噴火口の硫黄などの資源開発」を推進しようと画策。しかし工事は困難を極め、財政負担増による混乱があったものの[10]、1965年(昭和40年)5月の「十勝岳産業開発道路工事」最終工事600m区間の工事着手、同年7月4日の旭川電気軌道による路線バス[16][17]が道路完工を待たず十勝岳温泉凌雲閣前までの運行開始。同月27日、「十勝岳産業開発道路」開通式が行われ、竣工道路が受渡された[18]。
道路開通後の1967年(昭和42年)10月1日、厚生省告示第420号により、国民保養温泉地に指定をされることになる[18]。
この年上富良野町は、10月8日に「国民宿舎カミホロ荘」を開業した[11]。
また、道路工事を終了した自衛隊は山スキーの拠点とするため、同年11月、防衛庁共済組合により十勝青年隊員の家「上富山荘」を開業している(1978年3月、施設閉鎖[19])[18][20][注釈 1]。
凌雲閣は1994年に現在地に建て替えられ、300メートル離れた2つの源泉から湯を引いている。旧火口の自噴泉を使っていた時代は、火山灰混じりのドロドロした灰色の湯だったという[1]。
アクセス
- 車の場合
- 上富良野町市街地からは、北海道道291号吹上上富良野線で、眼前の山をひたすら登る。
- 旭川市方面からは、国道237号で上富良野町へ。国道上富良野バイパスに入らず、北海道道291号吹上上富良野線へ。
- 富良野方面からは、国道237号で国道上富良野バイパスに入らず、北海道道299号上富良野停車場線を経由し、途中案内板に従い北海道道291号吹上上富良野線へ。
- 公共交通利用の場合

