千明康
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経歴
1903年1月1日、群馬県利根郡片品村出身[1]。千明賢治の長男[1]。旧制沼田中学校、旧制新潟高等学校を経て東京帝国大学農学部林学科に進学し、1930年に卒業[2]。大学院で2年間学んだのち南満洲鉄道に入社し[2]、1937年退社[1]。この間1936年に日光華厳滝エレベーター株式会社、株式会社丸沼温泉ホテル各社長に就任[2]。また1949年6月より日光国立公園観光株式会社社長に就任し、1950年8月に辞任するまで同職に在任[1]。このほか群馬官材事業協会、国有林材生産組合、群馬県養鱒漁業協同組合などで要職を務めた[2]。また祖父(森蔵)から3代に渡り、金精峠道路の開発にも注力した[2]。1986年7月19日午前2時47分、急性心不全のため東京大学附属病院で死去[3]。83歳没。
馬主・生産者活動
主な所有馬
八大競走優勝馬
太字が八大競走。
- コレヒサ(1962年京都杯、1963年アメリカジョッキークラブカップ、天皇賞・春)
- コレヒデ(1966年東京新聞杯、アルゼンチンジョッキークラブカップ、天皇賞・秋、有馬記念、1967年ダイヤモンドステークス)
- メイズイ(1963年スプリングステークス、皐月賞、東京優駿、1964年スワンステークス)
重賞競走優勝馬
- メイタイ(1959年スプリングステークス)