千明康

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千明 康(ちぎら やすし、1903年1月1日 - 1986年7月19日[3])は、日本実業家馬主競走馬生産者株式会社丸沼温泉ホテル会長、千明牧場代表を務めた[3]

死没 (1986-07-19) 1986年7月19日(83歳没)[3]
日本の旗 日本 東京都文京区[3]
職業
概要 ちぎら やすし 千明 康, 生誕 ...
ちぎら やすし
千明 康
『躍進群馬県誌』掲載写真
生誕 1903年1月1日[1]
日本の旗 日本 群馬県利根郡片品村[1][2]
死没 (1986-07-19) 1986年7月19日(83歳没)[3]
日本の旗 日本 東京都文京区[3]
出身校 東京帝国大学農学部林学科[2]
職業
肩書き
配偶者 千明 菊代[1]
子供 千明 大作(長男)[1]
千明 賢治(父)[1]
親戚
  • 千明 森蔵(祖父)[2]
  • 千明 孝一郎(孫)
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経歴

1903年1月1日群馬県利根郡片品村出身[1]千明賢治の長男[1]旧制沼田中学校旧制新潟高等学校を経て東京帝国大学農学部林学科に進学し、1930年に卒業[2]大学院で2年間学んだのち南満洲鉄道に入社し[2]1937年退社[1]。この間1936年日光華厳滝エレベーター株式会社株式会社丸沼温泉ホテル各社長に就任[2]。また1949年6月より日光国立公園観光株式会社社長に就任し、1950年8月に辞任するまで同職に在任[1]。このほか群馬官材事業協会、国有林材生産組合、群馬県養鱒漁業協同組合などで要職を務めた[2]。また祖父(森蔵)から3代に渡り、金精峠道路の開発にも注力した[2]1986年7月19日午前2時47分、急性心不全のため東京大学附属病院で死去[3]83歳没

馬主・生産者活動

父の賢治が戦時中に閉鎖した千明牧場を再び開場。基本的に「コレ」との冠名を所有競走馬に名付け、コレヒサメイズイコレヒデなどの活躍馬を送り出した[2]。また馬主としては賢治がスゲヌマで、長男の大作ミスターシービー東京優駿(日本ダービー)を制したことで父子3代のダービーオーナーとなったことでも知られている[3]。馬主登録年月日は1957年3月26日[4]勝負服の柄は黄、緑山形一本輪、白袖[5]。妻の菊代も馬主で、康の没後に服色を継承している[6]

主な所有馬

八大競走優勝馬

太字が八大競走。

重賞競走優勝馬

  • メイタイ(1959年スプリングステークス)

脚注

参考文献

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