千明牧場
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昭和初期に千明賢治によって開設される。当時は片品村の本場でも生産が行われていたが、現在では北海道日高町や浦河町を所在地として、牧場名義の馬を生産・所有している。本場は2011年時点で高校の部活動のトレーニング施設として使われていることが確認できる[1]。
日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に馬主登録されている。勝負服の柄は緑、黄山形一本輪、白袖。冠名には、かつては牧場名のイニシャル(Chigira Bokujou)から「シービー」を用いていた[2]が、近年の所有馬には冠名は使用されていない。
分場として千葉県成田市本城に「三里塚分場」が存在し[3]、現在同地にはシービークイン、ミスターシービーの墓が設置されている[4]。
歴史
- 1925年 - 千明賢治がサラブレッドの生産・育成を目的とし群馬県片品村に開場[5]。1927年とする資料もある[3]。
- 1938年 - 生産馬スゲヌマ(馬主名義:千明賢治)が東京優駿を優勝[5]。なお、同馬を賢治の父の千明森蔵の愛馬であったと表現する資料もあり[6][7]、森蔵は東京優駿の開催日である5月29日、スゲヌマの優勝の一報を聞いたのち92歳で息を引き取っている[6]。
- 1943年 - 太平洋戦争の影響により、優良馬40頭が全国の愛馬家に譲渡、また将校用馬として寄贈、学校へ寄贈されるなどして分譲され、さらに牧場がジャガイモ畑として提供された[5]。この報を聞いたのち、6月21日に千明賢治が死去する[8]。
- 1953年 - 千明康(賢治の長男)が牧場経営を再開[5][9]。
- 1956年 - 6月、高橋勝四郎が場長として赴任[10]。
- 1963年 - メイズイ(馬主名義:千明康)が東京優駿を優勝[9]。
- 1966年 - 高橋勝四郎が場長を退任。
- 1983年 - 運営会社の丸沼代表に千明大作(康の長男)が就任[11]。またミスターシービー(馬主名義:千明牧場、代表者は大作)が東京優駿を優勝し、千明家は親子3代でダービー制覇を成し遂げることとなった[12]。ミスターシービーはこの年皐月賞を制しており、この後菊花賞も勝利して、シンザン以来19年ぶり・史上3頭目クラシック三冠馬となる[12]。
- 1986年 - 7月19日、千明康が死去[13]。
- 2005年頃 - 運営会社の丸沼代表に千明孝一郎(大作の長男)が就任[14]。
- 2026年 - 1月6日、千明大作が死去[15]。