Wikiwand AI

南北基本合意書

From Wikipedia, the free encyclopedia

ハングル: 남북 기본합의서
漢字: 南北基本合意書
RR式: nambuk gibonhabuiseo
MR式: nambuk kibonhabŭisŏ
南北基本合意書
各種表記
ハングル: 남북 기본합의서
漢字: 南北基本合意書
RR式: nambuk gibonhabuiseo
MR式: nambuk kibonhabŭisŏ
テンプレートを表示
南北間の和解と不可侵および交流、協力に関する合意書
各種表記
ハングル: 남북 사이의 화해와 불가침 및 교류협력에 관한 합의서
漢字: 南北 사이의 和解와 不可侵 및 交流協力에 關한 合意書
RR式: nambuk saiui hwahaewa bulgachim mit gyoryuhyeomnyeoge gwanhan habuiseo
MR式: nambuk saiŭi hwahaewa pulgach'im mit kyoryuhyŏmnyŏge kwanhan habŭisŏ
テンプレートを表示

南北基本合意書(なんぼくきほんごういしょ、朝鮮語: 남북 기본합의서、漢字:南北基本合意書)とは、1991年12月13日に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で締結され、1992年2月19日に発効した朝鮮半島の南北対話に関する合意文章である。

なお正式名称は「南北間の和解と不可侵および交流、協力に関する合意書」であるが、一般的には「南北基本合意書」と呼ばれている。

背景

韓国と北朝鮮との対話は1972年の南北共同声明以降、板門店でのポプラ事件、ラングーン事件、更には大韓航空機爆破事件などの影響で中断を余儀なくされながらも続けられていた。南北の経済格差が拡大しつつあるこの間、1980年10月に北朝鮮の金日成主席(当時)は、赤化統一である高麗民主連邦共和国構想を提唱している。

1988年に民主化とともに韓国大統領に就任した盧泰愚は北朝鮮との関係改善に積極姿勢を見せ、1988年7月7日に「民族自尊と繁栄のための大統領特別宣言」(7・7宣言)を発表し、北朝鮮に対して敵対関係の清算を呼びかけた。1989年に発生した東欧革命、冷戦の終結と言った時代の流れは、盧泰愚大統領の対北朝鮮関係改善政策の後押しをした。

合意書締結

そのような中、1990年9月にはソウルで南北の首相が会談を行う南北首相会談が実現した。南北首相会談はその後も1990年10月は平壌、そして12月には再びソウルで行われ、続く1991年10月には平壌で実施された。

このような南北対話の積み重ねの中で、1991年12月にソウルで行われた第5回南北首相会談で南北基本合意書が締結されることとなった。

南北基本合意書では、1972年の南北共同声明にある自主、平和、民族大団結の祖国平和統一3大原則を再確認するとともに、南北の和解、南北不可侵、南北交流・協力について全25条の合意がなされた。

その後

しかしその後1996年に江陵浸透事件が発生するなど、韓国と北朝鮮との対立は無くなることはなく、国際的にも北朝鮮核問題が大きく取り上げられるようになるなど、南北基本合意書の合意事項が十分生かせない事態が続いていた。

1998年に大韓民国大統領に就任した金大中は「太陽政策」を唱えて南北関係の改善を更に押し進め、2000年6月には南北首脳会談を行い、金正日国防委員長との間で6.15南北共同宣言を締結した。

南北基本合意書

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks