第8師団の正面には、遊鶴山から転進してきた人民軍第15師団が9月2日からこの正面に攻撃を開始していた。しかし9月4日、朴成哲少将は武亭中将から「崔仁斗同志の率いる第12師団は安康里の線を突破して慶州を占領した。それなのに朴同志の師団はなぜ永川を占領できないのか?」と激しく叱責された。
9月5日午前1時、第15師団は3個連隊を並列して、第73独立連隊と第103連隊を予備とし、各種砲166門の支援をもとに攻勢を開始した。この日は豪雨により第8師団は航空支援を受けられず、さらに混戦状態になったため砲兵支援もできなかった。第8師団の中央は突破され、永川に危機が迫った。
この事態に陸軍本部は、永川から慶州に転進中の第18連隊から第2大隊を抽出して第8師団に配属した。そして第8師団は第2軍団に隷属させて、劉載興軍団長に事態の収拾を命じた。劉載興軍団長は第1師団(師団長:白善燁准将)から第11連隊、第6師団(師団長:金鐘五准将)から第19連隊を抽出して第8師団に配属した。またウォーカー中将に戦車1個小隊(M46パットン5両)の支援を要請した。
9月6日早朝、第15師団が永川を占領した。この時、韓国軍は永川西側を雑多な部隊が防御していたに過ぎず、第15師団が永川から西西南15キロにある河陽に突進すれば第2軍団は崩壊する可能性があった。ところが第15師団は慶州方面に南下した。このため第8師団長・李成佳准将は第9工兵大隊(大隊長:金黙少領)に永川を奪還させた。やがて人民軍が反撃してきたが、来援した米軍戦車小隊の支援を受けてこれらを撃退した。9月7日から韓国軍の反撃が開始された。13日まで戦闘が続き、第15師団は殲滅された。韓国軍の戦果は射殺3,999名、捕虜309名、戦車5両、装甲車2両、トラック85両、各種砲14門、火器2,327丁を破壊または鹵獲した。