南波松太郎
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| 人物情報 | |
|---|---|
| 生誕 |
1894年3月15日 |
| 死没 |
1995年7月3日(101歳没) 肺炎 |
| 国籍 |
|
| 出身校 | 東京帝国大学 |
| 学問 | |
| 研究分野 | 船舶工学、海事史、地図史 |
| 研究機関 |
三菱造船神戸造船所 東京大学 神戸商船大学 大阪産業大学 |
| 学位 | 工学士 |
| 影響を受けた人物 | 秋岡武次郎 |
| 学会 |
造船協会 関西造船協会 大阪民藝協会 日本海事史学会 |
| 主な受賞歴 |
勲三等瑞宝章(1971年) 日本地名研究所第4回地名研究賞(1985年) |
南波 松太郎(なんば まつたろう、1894年〈明治27年〉3月15日 - 1995年〈平成7年〉7月3日)は、日本の船舶工学者、海事史研究者、古地図蒐集家。本業は船舶工学だが、余技であった海事史研究でも多くの業績を残した。日本有数の古地図コレクターとしても知られており、そのコレクションの多くは神戸市立博物館に寄贈されている。
大阪府立今宮中学校在学中の同級生に、のちに地理学者となる秋岡武次郎がおり、終生にわたり親交を結んだ[2][3]。
1916年(大正5年)6月、第三高等学校二部甲類卒業。9月、東京帝国大学工科大学船舶工学科入学。1919年(大正8年)7月、卒業、三菱造船神戸造船所に技師として入社。1941年(昭和16年)、造船設計部長。1943年(昭和18年)10月、海軍省航空兵器研究委員会委員、文部省戦時研究員。1945年(昭和20年)2月、神戸造船所副所長[1]。
1946年(昭和21年)6月、神戸造船所を依願退職し、東京大学工学部教授となる[1]。1954年(昭和29年)3月、東京大学を定年退官、4月より神戸商船大学教授[1]。1958年(昭和33年)、神戸商船大学の大羽真治学長の提案に基づいて創設された海事参考館(現・神戸大学海事博物館)に関わり、海事史料の収集・保存活動を行う[4][5]。
1961年(昭和36年)3月、神戸商船大学を定年退官、4月より1967年(昭和42年)3月まで海技大学校講師。1968年(昭和43年)10月、大阪産業大学教授。1971年(昭和46年)11月、勲三等瑞宝章。1977年(昭和52年)3月、大阪産業大学退職[6]。
1947年(昭和22年)6月より1954年(昭和29年)3月まで造船協会(現・日本船舶海洋工学会)理事。1954年4月より1970年(昭和45年)3月まで関西造船協会(現・日本船舶海洋工学会)理事。1955年(昭和30年)4月より1975年(昭和50年)3月まで大阪民藝協会理事[1]。他に、船の科学館建設業務に関する歴史家専門委員などもつとめている[7]。
1962年(昭和37年)12月、日本海事史学会の創立に参加し副会長となる。1969年(昭和44年)6月、第2代会長に就任[6]。1985年(昭和60年)7月、会長を退任し名誉会長に就任[8]。
1984年(昭和59年)7月、法政大学出版局より、主要な論文をまとめた文集『船・地図・日和山』を出版。同書にまとめられた日和山研究により、1985年4月に日本地名研究所の第4回地名研究賞を受賞した[9]。
1992年(平成4年)6月6日、古地図の研究・普及に多大な貢献をしたとして、国土地理院より院長感謝状と記念品を贈呈される[10]。
業績
大学で船舶工学を教えるうちに日本造船史に関心を持ち、千石船の研究を行い、さらにそこから、航海のための観天望気に使用された日和山の存在に関心を持ち、全国各地の日和山の実地調査を行った[12]。
「私の専門は船舶工学で、地理や歴史ではありません」[13]、「私は歴史家でもなければ文人墨客でもなく、一介の造船技術屋にすぎません」[14]と自認しており、海事史の研究や古地図の蒐集はあくまで余技、趣味としていた。当初、「船は趣味の対象としない」としていたが、戦後、東京大学教授となってからは当時の日本造船史研究の水準の低さや資料の散逸に危機感を抱き、自ら造船史研究に乗り出したという[15]。
造船
神戸造船所時代に設計に関与した船として、日本初の流線型客船「橘丸」(1935年進水)[16]をはじめ、日本初のディーゼル旅客船「音戸丸」(1923年進水)、砕氷貨客船「白陽丸」(1942年進水)、日本初のセメントタンカー「清忠丸」(1936年進水)などがある[17][18]。手がけた船は、客船、貨物船、漁船、曳船、上陸用舟艇など約1000隻にのぼる[19]。
日和山

もともと磁石に関心を持っていたところ、たまたま古書即売会で見た長谷川雪旦の『北国一覧写』の中に、新潟港の日和山の頂上に十二支方位の方角石が描かれているのを見かけて関心を持ち、さらにその後、観光で訪れた鳥羽の日和山に本物の方角石が置かれているのを見て関心が高まり、全国調査を始めた[21]。1968年(昭和43年)から、日本海事史学会の会誌『海事史研究』に日和山の研究を発表した[9]。
古地図
1921年(大正10年)頃、旧制大阪府立今宮中学校の同級生で、親友であった秋岡武次郎から木版の古地図(秋岡の回想では「富士見十三州輿地之全図」、南波の回想では「天保頃の江戸図」)を贈られるとともに、自分でも古地図を集めてみることを勧められ、「君〔秋岡〕が関東で集めるなら僕は関西を引き受けた」として蒐集を始める[3]。以後、秋岡とともに蒐集にいそしみ、「東の秋岡、西の南波」といわれるほどの大コレクションを形成する[22][2]。特定のジャンルに偏らず、あらゆる種類の古地図を蒐集していた[3]。これには、古地図の海外流出を防ぐという意図もあったという[3]。
1982年(昭和57年)、米寿を記念して、新規開館となる神戸市立博物館に古地図コレクションを寄贈した[13]。その後に寄贈された分を含め、神戸市立博物館所蔵のコレクションは5790件5328点にのぼる[3]。秋岡武次郎のコレクションとともに、神戸市立博物館所蔵古地図資料の主体となっている[23]。他に、神戸大学海事博物館や市立伊丹ミュージアムなどに寄贈された資料もある[3]。
著書
- (編)『日本の古地図』南波松太郎・室賀信夫・海野一隆編、創元社、1969年。
- (監修)『神戸市立博物館第5回特別展 開館一周年記念特別展 古地図にみる世界と日本 地図は語る 夢とロマン』神戸市立博物館編、織田武雄・南波松太郎・松木哲監修、神戸市健康教育公社、1983年10月。 doi:10.11501/9585022
- 『船・地図・日和山』南波松太郎先生文集出版実行委員会編、法政大学出版局、1984年7月。 doi:10.11501/12683206
- 『懐古・蝦夷征伐』私家版、1987年8月。
- 『日和山』法政大学出版局〈ものと人間の文化史 60〉、1988年11月。 ISBN 4-588-20601-X - 『船・地図・日和山』の日和山関係の記述を増補したもの。
コレクション目録
- 神戸市立博物館編『神戸市立博物館館蔵品目録 地図の部 1 世界図・日本図(南波松太郎コレクション)』神戸市健康教育公社、1984年3月。
- 神戸市立博物館編『神戸市立博物館館蔵品目録 地図の部 2 諸国図・都市図(南波松太郎コレクション)』神戸市立博物館、1985年3月。
- 神戸市立博物館編『神戸市立博物館館蔵品目録 地図の部 3 諸国図・都市図(南波松太郎コレクション)』神戸市スポーツ教育公社、1986年3月。 doi:10.11501/12277711
- 神戸市立博物館編『神戸市立博物館館蔵品目録 地図の部 4 江戸図・京都図・大坂図(南波松太郎コレクション)』神戸市スポーツ教育公社、1987年3月。 doi:10.11501/12277703
- 神戸市立博物館編『神戸市立博物館館蔵品目録 地図の部 5 外国関係図・北海道関係図(南波松太郎コレクション)』神戸市スポーツ教育公社、1988年3月。 doi:10.11501/12277354
- 神戸市立博物館編『神戸市立博物館館蔵品目録 地図の部 6 道中関係図・寺社関係図・その他(南波松太郎コレクション)』神戸市スポーツ教育公社、1989年3月。 doi:10.11501/12277647