南部重信
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
| |
| 時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
| 生誕 | 元和2年5月15日(1616年6月28日) |
| 死没 | 元禄15年6月18日(1702年7月12日) |
| 改名 | 彦六郎(幼名)、花輪彦佐衛門、重信 |
| 別名 | 乙松・鍋松丸・七戸隼人正(別名) |
| 諡号 | 西卒 |
| 官位 | 従五位下、従四位下、大膳大夫 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 徳川家綱→綱吉 |
| 藩 | 陸奥盛岡藩主 |
| 氏族 | 南部氏 |
| 父母 |
父:南部利直、母:慈徳院(花輪政朝の娘) 養父:南部重直 |
| 兄弟 | 家直、政直、重直、利康、重信、山田利長、直房 |
| 妻 |
正室:大智院(玉山秀久の娘) 側室:長慶院(上田兵部の娘)、服部氏(光樹院)、村木采女の娘、蘭女、養春院(赤沢氏)、きん、松貞院(新渡氏)、小督、峯光院(那波氏)、穂高彦右衛門の娘、浄生院(栃内金右衛門の妹) |
| 子 | 七戸秀信(長男)、七戸定信(次男)、行信、辰之助(4男)、七戸英信(5男)、政信(7男・旗本麹町南部家初代)、勝信、萬之助(8男)、千之助(9男)、通信、七戸愛信(11男)、坪内定信(12男・坪内惣兵衛養子)、七戸舜信(13男・兄英信養子)、式姫(長女・池田綱清正室)、七姫(次女・本多忠英正室のち有馬豊祐正室)、慶姫(家臣八戸勘解由利戡室)、恵岐姫(家臣桜庭兵三郎直良室) |
南部 重信(なんぶ しげのぶ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名で、陸奥盛岡藩の第3代藩主。南部氏の第29代当主。父は南部利直。母は閉伊氏の一族、花輪政朝の娘・松。地元の人々からは親しみを持って「花輪殿様」と呼ばれている。
元和2年(1616年)5月15日、初代盛岡藩主・南部利直の5男として閉伊郡花輪村で生まれる。利直が盛岡の外港として宮古の町を開くために滞在した際、その身辺の世話を務めたのが地頭である閉伊花輪氏の娘・松であった。
幼少期を閉伊氏の菩提寺である華厳院で過ごし、百姓の子とも分け隔てなく遊んだとされる。慶安元年(1648年)に七戸家を継ぎ、七戸城主の座に留まっていた。しかし、寛文4年(1664年)12月6日、兄・重直が子を残さず死去すると、盛岡藩8万石を(八戸2万石を弟の直房が継いだため)分割相続する。同年12月15日、将軍徳川家綱に御目見する。同年12月28日、従五位下・大膳大夫に叙任する。
天和3年(1683年)5月7日、従四位下に昇進する。また、10万石に高直しされる。従四位下への昇進については、天和2年5月8日の徳川家綱の三回忌に際し、従五位下のために雨のなかで傘もさせず、「飛かねて上野の池の五月雨にみの毛もうすき五位の濡鷺」と歌を詠み、これを将軍徳川綱吉が聞いたためというエピソードがある(『南部史要』)。
元禄5年(1692年)6月27日、家督を長男・行信に譲って隠居する。元禄15年(1702年)に江戸で死去した。享年87。