南都七大寺
奈良時代に平城京内外に存在した7つの官寺
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七大寺一覧
江戸時代の七大寺
江戸時代の寛文3年(1663年)霊元天皇の即位をきっかけに、当時院政を行っていた後水尾法皇が内侍所御神楽を除く内裏における祈祷を停止し、新たに7つの寺院を七大寺として指定して必要な仏教形式の祈祷はそこで行わせた(同時に神道形式の祈祷も上七社と呼ばれる7つの神社を指定している→二十二社を参照)。これは朝儀再興の一環として、中世以来増え続ける祈祷を整理すると共に江戸幕府が将軍家内部に関する祈祷まで朝廷に要請を行いそれが宮中で実施される現状に危機感を抱いたためとされている[5]。
都が平安京(京都)に移って900年近く経ており、南都七大寺と比較をすると、東大寺と興福寺を除いては京都及びその近隣の寺院と入れ替わる形となっている。