古川組

日本の兵庫県尼崎市に本部を置く暴力団 From Wikipedia, the free encyclopedia

古川組(ふるかわぐみ)は、兵庫県尼崎市に本部を置く暴力団で、指定暴力団神戸山口組の二次団体。四代目古川組組長 親泊おやどまり吉広。

設立者古川雅章
本部〒660-0055
日本の旗 日本兵庫県尼崎市稲葉元町2丁目8-1
首領親泊おやどまり吉広[1]
上部団体 神戸山口組
概要 設立者, 本部 ...
四代目古川組
設立者古川雅章
本部〒660-0055
日本の旗 日本兵庫県尼崎市稲葉元町2丁目8-1
首領親泊おやどまり吉広[1]
上部団体 神戸山口組
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2017年に分裂し、絆會傘下で「二代目古川組」(山崎博司組長)を名乗った脱退勢力は山崎組長引退後、「尼崎睦会」に改称し六代目山口組弘道会傘下となっている。

概要

特異な治安環境を持つ尼崎には山口組有力二次団体が3つ存在した。大平組・古川組・真鍋組である。

なかでも古川組初代・古川雅章は初代大平組で最高幹部を務めていたが、古川組として山口組二次団体に昇格した。古川組独立後も大平組とは友好関係にあった。

古川組は過去、東京と沖縄に事務所を展開していた。沖縄県に設立された琉真会は、第4次沖縄抗争勃発のきっかけとなった。その第4次沖縄抗争は時任三郎主演の実録ヤクザ映画海燕ジョーの奇跡』で描かれている。

略歴

  • 1980年(昭和55年)6月 - 大平組傘下から三代目山口組の二次団体に昇格する。
  • 2005年(平成17年)10月 - 若頭・古川恵一が二代目古川組組長に就任し、六代目山口組若中となった。
  • 2015年(平成27年)12月8日 - 六代目山口組を離脱。
  • 2017年(平成29年)4月30日 - 神戸山口組を離脱した山崎博司が古川組三代目を名乗り任侠団体山口組結成記者会見に同席した。記者会見場は尼崎市の古川組本部事務所で、山崎博司が任侠団体山口組三代目古川組の本部事務所としてそのまま使い続けた。その後、2020年8月に山崎博司は引退し、古川組本部事務所は2021年秋に解体された。
  • 2017年(平成29年)7月6日 - 三代目体制となる。仲村良松が三代目組長に就任し、古川恵一は総裁となった。
  • 2019年(令和元年)11月27日 - 尼崎市神田南通1の路上で古川恵一総裁が六代目山口組二代目竹中組元組員にM16自動小銃で殺害された。実行犯は京都府警に逮捕された[2][3][4][5][6][7][リンク切れ]

歴代組長

さらに見る 氏名, 在任期間 ...
氏名 在任期間 備考
初代 古川雅章 1980年 - 2005年
1980年、三代目山口組直参に昇格。
二代目 古川恵一 2005年 - 2017年
古川雅章の実子。

2017年5月、二代目若頭[8]山崎博司が組員を連れて任俠団体山口組へ移籍し古川組三代目を名乗った。
その後、山崎博司は古川組二代目を名乗った。山崎博司は2020年に引退した。
三代目 仲村石松 2017年 - 2022年
2022年6月、病死。
四代目 親泊吉広
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初代・古川雅章

(六代目山口組舎弟/五代目山口組若頭補佐/四代目山口組若中/三代目山口組若中/大平組舎弟頭)70歳没

本名は古川真澄。1980年6月に三代目山口組若中となる。2005年に引退し、2006年に死去した。

二代目・古川恵一

(神戸山口組幹部/六代目山口組若中/古川組若頭/真道会会長)59歳没

雅章初代の実子。 25歳でヤクザとなる。2005年に古川組の二代目を継承し、六代目山口組直参に昇格した。
2015年12月、六代目山口組から脱退し、神戸山口組に移籍する。神戸山口組では若中から幹部に昇格し、2017年に跡目を仲村石松に譲り、三代目古川組総裁に就任。

2019年11月27日に尼崎市神田南通1の路上で自動小銃M16で襲撃を受け弾丸15発を浴び急逝[2]。同日、京都市内で京都府警が銃刀法違反容疑などで愛知県江南市に住む無職52歳(元・六代目山口組二代目竹中組組員)を現行犯逮捕[9]。2021年2月19日、神戸地方裁判所(小倉哲浩裁判長)は「残虐きわまりない犯行。一般市民にも被害が及びかねなかった」として、殺人や銃刀法違反などの罪に問われた六代目山口組系元組員に求刑通り無期懲役を言い渡した[10][11]

三代目・仲村石松

(神戸山口組若頭補佐/任侠団体山口組本部長補佐/三代目琉真会会長)66歳没

古川組琉真会で長らく最高幹部を務めた経歴を持ち、琉真会の三代目を継承した。任侠団体山口組が設立された際に移籍し本部長補佐に就任したものの、すぐに神戸山口組に戻った。神戸山口組で若頭補佐を務めていたが、2022年に癌で死去。

四代目・親泊吉広

三代目古川組舎弟頭[12]→四代目古川組組長[1]

出身組織

  • 大興會 - 元傘下組織。任侠団体山口組に移籍し、三代目大平組に改称する。組長・中村彰宏(任侠山口組若中)は、六代目山口組の直参であった中村天地朗(引退)の実子である。その後、六代目山口組弘道会野内組権太会に移籍。
  • 権太会 - 元傘下組織。任侠団体山口組が発足すると移籍したものの、神戸山口組側に帰参。その後、六代目山口組系三代目弘道会野内組に移籍する。会長の平野権太は、野内組相談役に就任している。
  • 坂田会 - 東京都新宿区に本拠を置く。旧・坂勝会。神戸山口組→任侠山口組→神戸山口組→六代目山口組と渡り歩き、]野内組に移籍。会長・坂田勝良は、三代目弘道会直参と野内組舎弟頭補佐を兼務している。
  • 二代目石元会 - 古川組の東京での拠点とされた。神戸山口組→任侠山口組→神戸山口組と移籍を続け、2018年9月6日に解散。
    石元会初代の石元正弘は関東連合石元太一の実父であるが、太一が石元会に関わったことはない。
  • 琉真会 - 六代目山口組側と神戸山口組側に分裂している。

内部分裂、任侠団体山口組へ移籍(2017年)

概要 本部, 首領 ...
二代目古川組
本部〒660-0892
日本の旗 兵庫県尼崎市東難波町4-9-19
首領山崎博司
活動期間2017年 - 2020年
上部団体絆會
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2017年4月30日、任侠団体山口組は、古川組事務所(兵庫県尼崎市)で任侠団体山口組結成記者会見を開いた。神戸山口組二代目古川組幹部山崎博司三代目古川組組長として同席し、真鍋組池田幸治組長(尼崎市)らとともに神戸山口組の金権体質を非難した[13]。山崎博司は神戸山口組を離脱し三代目古川組組長を名乗り、古川組組員の多くを率いて任侠団体山口組(現・絆會)に移籍したのであった。

2017年5月、神戸山口組二代目古川組古川恵一組長による、二代目舎弟山崎博司の絶縁状が暴力団業界に回覧された[14][15]

2017年年6月に山崎博司は
“初代への原点回帰を目的として二代目古川組に改称し、古川組二代目組長は山崎とする”
との声明を出す。
内容は古川恵一の優柔不断さなどを非難し、二代目と認めないとするものであった。

2020年8月、山崎博司の引退に伴い、最高幹部が組織名を尼崎睦会(あまがさきむつみかい)に改称し、六代目山口組三代目弘道会野内組権太会に移籍した。

歴代組長

さらに見る 氏名, 在任期間 ...
氏名 在任期間 備考
三代目→二代目 山崎博司 2017年 - 2020年
2020年8月11日、引退
2025年8月、死去。
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古川組組長・山崎博司

山崎博司は、山口組二代目豪友会(山一抗争時代在籍)から初代古川組へ移籍(徳島刑務所で古川初代と一緒になった縁)。

2015年12月、二代目古川組が六代目山口組を離脱し神戸山口組に移籍。

神戸山口組二代目古川組若頭[16]であった山崎博司は2017年4月30日、神戸山口組を離脱し任侠団体山口組に移籍。

任侠団体山口組本部長補佐、任侠山口組本部長補佐、絆會本部長を歴任し、2020年8月11日に引退した。

2025年8月、死去。69歳没。

本部事務所

五代目山口組時代の1990年頃に古川雅章初代が開設した事務所であり、神戸山口組離脱し三代目古川組組長を名乗った山崎博司は任侠山口組古川組本部事務所として使い続け、2017年10月以降は任侠山口組そのものの本部機能を持っていた。

2018年9月4日に行政の使用禁止の仮処分が認可された事で閉鎖され、2021年に入り解体された[17]

脚注

関連項目

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