古谷俊夫
日本の教育者、実業家
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来歴
自宅が旧土佐藩士・
高知市立第三尋常小学校(のちの高知市立追手前小学校)在学中の1937年(昭和12年)4月6日、高野寺の谷信讃の発意により板垣を顕彰する「板垣会館」が同寺内に建立された際は、成績優秀(首席)であったため、小学生代表として、来賓・頭山満、板垣退助長女・片岡兵子、退助孫・宮地茂秋ら臨席のもと、祝辞を奉読している[7][8]。同校卒業後、高知県立高知城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)を経て、昭和18年(1943年)12月1日、海軍兵学校に入校(第75期生)。昭和20年(1945年)10月1日、同校卒業[9]。
終戦後、京都大学に進学し、京都市左京区にあった学生寮「京都土佐塾」に入寮する。1952年(昭和27年)、京都大学文学部を卒業した[7]。
大学卒業後は土佐高等学校教諭を経て、高知サンライズホテル会長、高知県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長、一般社団法人高知県食品衛生協会会長、高知県中小企業団体中央会第3代会長(在任期間:1991年(平成3年)2月 - 2006年(平成18年)5月[10])などを歴任した[7]。
文化活動
板垣退助顕彰


1956年(昭和31年)5月11日に再建され、財団法人板垣会が管理を行っていた高知城追手門内の板垣退助銅像が酸性雨による影響のため損傷が著しくなったため、同法人を中心として1989年(平成元年)12月20日、吉村眞一[16]を会長とする「板垣退助銅像改修期成会」が組織され、浄財を募ってこれを修復[17]。和英両文の説明板を新たに設置し、1990年(平成2年)4月6日、板垣退助の岐阜遭難日にあわせて修復除幕式を挙行[3]。式典では銅像前で土佐長谷川英信流居合の演武が奉納され、直会は高知サンライズホテルで開催された[17]。銅像は修復の完了を以て、財団法人板垣会より高知県へ寄贈され、その管理を委ねた[17]。その後、自らが経営する高知サンライズホテルが、板垣の生家跡(現・高野寺)の北隣であったことなどから、吉村らの知遇を得て財団法人板垣会の会長を永きにわたって務め、板垣の命日である7月16日には、高野寺での法要を毎年主催した[7]。 その間、岐阜板垣会会長・澤田榮作とも交流をはかっている[7]。
2008年(平成20年)、公益法人の法改正に伴い「財団法人」としての存続が危まれたため、1920年(大正9年)、安藝喜代香によって設立された「板垣伯銅像記念碑建設同志会[18]」以来の会が断絶するのを防ぐため、特定非営利活動法人への移行が建議された。2013年(平成25年)7月8日、特定非営利活動法人として、財団法人の余剰金及び会員の移行をおこない、同法人の会長に就任した[3]。
非営利活動法人板垣会は、2018年(平成30年)の板垣百回忌を期して、7月12日高知市神田に『板垣退助謫居の地』を示す石碑を建立[19]。7月16日の百回忌法要では、高野寺において高知市長・岡崎誠也が祭文を奏上、一般社団法人板垣退助先生顕彰会理事長・髙岡功太郎が安倍晋三総理の揮毫による板垣の位牌を奉納、板垣退助曾孫・浅野
栄典
寄稿
- 『観光あれこれ』古谷俊夫著(所収『文化高知』財団法人高知市文化振興事業団、1991年(平成3年)5月1日)
支援・協力
- 1988年(昭和63年)- 能楽堂期成会設立[24](高知サンライズホテルにて設立総会)
- 1989年(平成元年)- 高知城公園板垣退助銅像修復(板垣退助銅像改修期成会)
- 1994年(平成6年)- 高知県能楽協会設立(会長・吉村眞一、会長代理兼副会長・古谷俊夫、副会長・入交太二郎ほか)
- 2018年(平成30年)- 高知縣護國神社修築(髙知縣護國神社創立150周年記念事業)
- 2019年(令和元年)- 祇園「薩土討幕之密約紀念碑」建立(板垣退助先生顕彰会)