大野勇 (高知市長)
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教育者・大野直賢の長男として[5]、高知県高岡郡別府村(のちの仁淀村、現在の仁淀川町)に生まれる[1][2]。母は中越常太郎の長女・梅代[6]。
高知師範学校卒[1]。中等教員検定試験に合格する[1]。台湾に渡り、台湾総督府立中学(現在の台北市立建国高級中学)、松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)ほか各中学校教諭を歴任する[1]。京都市役所に入り、視学、社会課長となり[1]、1928年(昭和3年)に市政研究のため、欧米に出張する。パリの市営競馬や清掃制度、市場研究に重点を置き、帰国後に京都中央市場の設立に力を尽くし[2]、市場長となる[1]。その後、京都市助役となる[2]。1941年(昭和16年)に高知市長に就任、この時、財団法人板垣伯銅像記念碑建設同志会第8代会長にも就任した[2]。
就任した年の暮れにあたる12月8日、支那事変が拡大し大東亜戦争が勃発。国家総動員体制下での市政運営を迫られた。1942年(昭和17年)6月には高知市は周辺の10ヶ町村を合併し、市域を拡大した。戦時体制は強化される一方、戦況は悪化の一途をたどり、1945年(昭和20年)7月4日、高知市も空襲を受けた(高知大空襲)。やがて終戦となり、大野は終戦後も市長の職に留まっていたが、1946年(昭和21年)7月20日[7]、公職追放を予見して辞職した[8]。