吉原毅

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生誕 (1955-02-08) 1955年2月8日(70歳)
日本の旗 日本 東京都大田区
影響を受けたもの 小原鐵五郎
よしわら つよし

吉原 毅
生誕 (1955-02-08) 1955年2月8日(70歳)
日本の旗 日本 東京都大田区
出身校 慶應義塾大学経済学部
職業 実業家
城南信用金庫名誉顧問
麻布中学校・高等学校理事長
影響を受けたもの 小原鐵五郎
吉原良吉、吉原文子
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吉原 毅(よしわら つよし、1955年昭和30年)2月8日- )は、日本の実業家城南信用金庫名誉顧問(元理事長)。麻布中学校・高等学校理事長。横浜商科大学理事長。原子力撤廃を標榜し、太陽光発電などによるクリーンエネルギーの導入を推進している。「人を大切にする、思いやりを大切にする」「原発に頼らない安心できる社会へ」を経営理念にしている。

城南信用金庫の第三代理事長である小原鉄五郎の薫陶を受け、相互扶助のための協同組織金融機関である信用金庫の原点回帰を経営方針に掲げる。

東京都大田区蒲田で綱島出身の吉原良吉の次男として生まれる。[1]大田区立大森第三小学校、麻布中学・高校卒業後、慶應義塾大学経済学部で、加藤寛から経済政策論や厚生経済学、井村喜代子からマルクス経済学白井厚から社会主義思想を学び、卒業後は西部邁小室直樹渡部昇一らから社会思想を学ぶ。

1977年4月、城南信用金庫へ入職し、入新井支店に配属。東京銀行外国為替センターへの出向等を経て、企画部に赴任。企画部時代は小原鉄五郎から薫陶を受け、懸賞金付定期預金や民間版定額貯金、民間版住宅公庫ローン、貯蓄国債口座、スイスフラン通知預金、夢付き定期積金、ボーナス定期積金、独自プライムレート、乱数表付テレホンバンク、まんがディスクロなどの我が国初の新商品を開発し、金融制度調査会で預金保険機構限度額拡大、消費者専門部会の本則金利移行、金融リスク委員会でアセット・ライアビリティ・マネジメント理論発表などに携わる。また一括決済システムの原案(債権譲渡方式)を作成して全銀協(六行会幹事の三井銀行)に提案し金融業界全体の一括決済システムとして採用される。小原が提唱した「貸すも親切、貸さぬも親切」「お金は麻薬」を踏まえ「お金の本質は自己幻想による妄想」「お金は人を孤独にし、道徳や倫理を崩壊させる」「お金は時に人の心を狂わせ暴走させる」「金融機関の使命はお金を健全にコントロールすること」「健全なコミュニティの中でこそ健全なマネーが流れる」などを持論とする。

2010年に信用金庫の原点回帰を掲げて理事長[2][3][4]に就く。「信用金庫は公共的使命をもった社会貢献企業」「金融機関の枠を超えたお客様応援企業」を掲げ、理事長の年収を支店長以下の1200万円に抑え、任期を理事長と会長の通算で最長4年、停年を60歳とし[5]、四権分立、逆ピラミッド、現場による経営計画など異色の改革を断行し、店舗の使用電力を東京電力から購入することをやめ、自然エネルギーなどを使う電力会社に切り替える施策を講じた[6]。2012年11月、東日本大震災の犠牲者の鎮魂と被災地復興支援、脱原発シンポジウムを目的とした社会貢献フェア(ビジネスフェアではない)として「よい仕事起こしフェア」を東京ドームで開催。「日本を明るく元気に」を同フェアのスローガンとした。「よい仕事起こし」とは日本労働者協同組合連合会 (WC) のスローガンであり、これに共鳴した吉原が永戸祐三理事長の許可を得て信金業界のフェアの名称としたものであり、その後のよい仕事起こしネット、よい仕事起こしプラザにつながる。2015年6月に任期を満了し、理事長から相談役に退いた[7]。経営手法は、総合企画が早川憲治、被災地復興支援が新田輝夫、全国信金との関係強化および業績推進が大塚健一、人事が小泉博美など分権型経営に努め、福島正伸を招聘しての企業文化の改革、次世代役員の育成プログラムの導入、若手職員の意見反映、女性の支店長・役員への積極的な登用や障がい者雇用などのダイバーシティにも努めた。

2011年7月2日の報道特集と、報道ステーションは7月5日の「原発 私はこう思う」と2012年8月9日にコメンテーターとして出演し、経団連同友会商工会議所が原発推進を提言したことを批判して「大企業は原発を買い取って運営できるのか」「原発は採算が合わないので即時ゼロ」と主張した。2011年6月29日付の朝日新聞朝刊にインタビューが掲載されるなど各種メディアへ露出が多く、小出裕章明峯哲夫田中優落合恵子広瀬隆、小林よしのり、神谷光徳、前川喜平、古賀茂明などとともに数多くのシンポジウムなどに論客として参加している。岩井俊二監督の劇場映画「friends after 3.11」、河合弘之監督の劇場映画「日本と再生 光と風のギガワット作戦」に出演。日経ビジネス「異説異論」および「賢人の警鐘」のコラムに2年間にわたり連続して寄稿する。 西川善文は吉原が主導した城南信金の脱原発宣言を『英断』と称した[8]。2012年11月に城南総合研究所を創立して所長に就き、初代名誉所長に加藤寛、2代目名誉所長に小泉純一郎をそれぞれ迎え、「原発即時ゼロを決断すれば、自然エネルギーや新世代火力などのエネルギー革命により、日本経済は発展する」と主張している。2018年3月と2019年3月には「朝まで生テレビ」に出演し「もう一度事故が起きたら貴方達は切腹して責任がとれるのか」と主張して原発推進論者を黙らせ、その無責任さを明らかにした。2017年4月に小泉純一郎、細川護熙、河合弘之、中川秀直、近江屋信広、嘉田由紀子、飯田哲也、鎌田慧、下村満子、湯川れい子、木村結、志村節子、村田光平、中原伸之、福岡正夫、金子勝、島田晴雄、原田博史、楠達史、小宮武夫、海渡雄一、井戸謙一、柳田真、吉岡達也、三上元、香山リカ、古川享、佐藤彌衛門、鹿島俊平太、坂本隆一、野中ともよらと原発ゼロ自然エネルギー推進連盟(略称原自連)を設立し会長に就任し、大学や生協、市民団体、中小企業家同友会、仏教、キリスト教、生長の家(年間講師として全国を講演する)など、立場の左右を問わず全国を講演するほか2018年1月には「原発ゼロ自然エネルギー推進基本法案」を発表。城南信用金庫としても全国規模で太陽光や小型風力などの自然エネルギー設備への投融資を積極的に推進する。

2015年1月に品川区内に店舗を有するさわやか信用金庫、芝信用金庫、目黒信用金庫、湘南信用金庫、城南信用金庫の5信用金庫による金融界初の成年後見法人である一般社団法人しんきん成年後見サポートを設立し理事長に就任。品川区社会福祉協議会と連携し高齢化社会に対応するための社会貢献事業を開始。2016年には最高裁や日弁連、内閣府と連携し、従来の「後見支援信託」に併立・代替される新たな方策(「後見支援預金」)を提言し、同商品案は2017年3月に閣議決定された成年後見制度利用促進基本計画に盛り込まれ、2018年3月より各信用金庫で取り扱いを開始した。高齢者福祉についての意識が遅れていた金融界で、成年後見と家族信託の分野で啓蒙に努めており、しんきん成年後見サポート沼津、しんきん成年後見サポート花巻などの高齢者福祉会社の設立を支援。2020年6月週刊金融財政事情に成年後見に代替する金融サービスとして花巻信用金庫やアメリカで行われている認知症後も代理人を継続するスキーム(継続委任契約)を紹介し、翌年2月に全銀協はこれを認める見解を発表し、三菱UFJ銀行グループや城南信用金庫での新たな高齢者向けサービス開発に繋がった。

城南信用金庫および産業組合中央会の創立者である加納久宜(元上総一宮藩主)の研究ならびに協同組合の歴史と理念の啓蒙に努めており、全国の信用金庫、農協、生協などで講演活動を行っている。アダム・スミスの国富論を論拠に「株式会社は欠陥だらけの企業システムであり、協同組合こそ人類の歴史の正当な継承者である」との持論を展開。2012年の国際協同組合年を契機に他協同組合との連携を模索し、2016年から日本社会連帯機構の副理事長、2017年から日本労働者協同組合連合会の理事・顧問を務めるなど全国のワーカーズコープ運動にも尽力する。

ピーター・ドラッカーヘンリー・ミンツバーグエドワード・L・デシダニエル・ゴールマン英語版らの経営理論を背景に、グローバル資本主義成果主義、攻めのガバナンス論などのアメリカ型経営を批判し、年功序列グローバルスタンダードにすべしなど日本的経営の優位を主張して、報道2001などで持論を展開した。NIFTYの金融プロフェッショナルフォーラムFKINYU創立に参加し、「よっしー」のハンドルネームで議長として高橋洋一と郵貯問題や金融工学などを議論した。明治学院大学客員教授、千葉商科大学特命教授を歴任。

略歴

著書

脚注

外部リンク

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