呉益済
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1929年、日本統治下の朝鮮平安南道成川郡で生まれた。天道教に帰依し、1945年以降は故郷で天道教宗理院教化部長を務めた。高麗大学校で経営学を学び、平壌国際関係大学経済学科を卒業した。天道教の宗務院長、宗学院長などを経て、1989年から1994年までは韓国における天道教の最高指導者となり、当時、韓国の野党第1党だった国民会議(総裁は金大中)の顧問を務め[1]、金大中が大統領になってからも友人の関係にあった[2]。
北朝鮮の権力中枢にいたが2004年に韓国に亡命した張哲賢によれば、1997年、朝鮮労働党の黄長燁書記が韓国に亡命すると、北朝鮮の最高指導者金正日はこれに衝撃を受け、対外連絡部長の姜寛周、作戦部長の呉克烈、統一戦線事業部長の林東玉、35号室部長の権煕京を招集し、黄長燁暗殺司令を出したが、韓国当局の警戒が厳しく、実行が不可能視されたため、韓国から黄長燁の同程度の重要人物を、自ら望んで北に来たような形で拉致せよと命じた[2]。
選ばれたのは呉益済だった[2]。呉は北朝鮮出身で本妻と娘は郷里の成川に残されていた[2]。彼らは本妻に手紙を書かせて呉を騙し、1997年8月、呉を拉致した[2]。北朝鮮に入国した呉は自分から亡命したと述べ、金正日に従ったが、韓国では動揺が広がった[1]。北朝鮮では祖国平和統一委員会副委員長を務めていたが、2011年9月1日、病気のため死去した[1]。
参照
関連項目
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