金英男
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キム・ヨンナム 金 英男 | |
|---|---|
| 生誕 |
김영남 (金 英男) 1961年6月25日(64歳)[1] |
| 失踪 |
1978年8月5日 |
| 現況 | 失踪中 |
| 国籍 |
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| 職業 | 朝鮮人民軍偵察総局職員 |
| 配偶者 | 横田めぐみ |
| 子供 | 長女:キム・ウンギョン(幼名:キム・ヘギョン) |
| 親 |
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| 家族 | 金英子(姉) |
| 金 英男 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 김영남 |
| 漢字: | 金 英男 |
| 発音: | キム・ヨンナム |
| 日本語読み: | きん えいなん |
金 英男(キム・ヨンナム、김영남、1961年6月25日[1] - )は、大韓民国全羅北道出身の人物。北朝鮮による韓国人拉致被害者。1978年8月5日、高校1年生(16歳)の時に[2][3]、全羅北道群山沖の自宅付近の島へ海水浴に出かけたまま失踪した[2][4]。
1990年代初頭に、韓国の諜報員2人から金英男が生きて北朝鮮にいると聞かされた際に、姉の金英子(キム・ヨンジャ)は衝撃を受け、「恐ろしかった。北朝鮮にいるなんて全く考えたことがなかった」と語っている[4][3]。
日本国政府が日本人拉致被害者であると認定している横田めぐみ(朝鮮名:リュ・ミョンスク)と北朝鮮で出会い結婚し、めぐみとの間に娘が1人いる[4][3][5]。その娘の名はキム・ウンギョンであり、幼名はキム・ヘギョンだと説明されている[6]。のちに北朝鮮の女性パク・チュンファ(박춘화)と再婚し、パクとの間には息子が1人いる。
北朝鮮は、2002年9月の日朝首脳会談で日本人拉致を認め、横田めぐみは「キム・チョルジュン」なる朝鮮人と結婚し、長女キム・ヘギョン(後のキム・ウンギョン)を出産したが、その後「自殺した」と説明していた[3][7]。2002年9月、「キム・チョルジュン」は「幸せな家庭生活を送っていたところ、1993年に突然病気でめぐみを失うという不幸が襲った」とめぐみの両親に手紙を出した[8]。
長女キム・ヘギョンについては、2002年10月2日に日本の政府調査団が持ち帰った彼女の血液と、横田滋・横田早紀江の血液、さらに横田めぐみの臍帯をDNA鑑定したところ、同年10月24日、ヘギョンとめぐみとの間の親子関係に矛盾がないとの最終的な鑑定結果報告がなされた[9]。
金英男の失踪については、韓国に潜入して逮捕された北朝鮮工作員らの供述で拉致事件である疑いが強まり、1997年に韓国の国家安全企画部は金英男を「北朝鮮による拉致被害者である」と発表した[2]。金英男は、党35号室(現:朝鮮人民軍偵察総局)という対外工作機関の職員を務めていた[10]。
韓国の拉致被害者家族によってつくられた「拉北者家族会」代表の崔成龍(チェ・ソンヨン)は、2005年11月に「横田めぐみの夫とされるキム・チョルジュンなる人物は韓国人拉致被害者(その後、本名がキム・ヨンナムと判明)である」との情報をいち早く入手しており、それが後に確認された[11]。
2006年4月11日、日本国政府のDNA鑑定により、横田めぐみの夫は1978年に韓国で失踪した金英男である可能性が極めて高いことが判明した[1][4][7]。日本政府がこの事実を公表すると、当初金英男の存在を認めていなかった北朝鮮側は一転し、2006年6月8日に金英男が彼女の夫だと発表した[1]。
北朝鮮での目撃証言
大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯である元北朝鮮工作員である金賢姫が、2009年に田口八重子の長男飯塚耕一郎に語ったところによれば、田口八重子、横田めぐみ、金淑姫の3人は、1984年末頃まで中和郡忠龍里の招待所で同居していたという[12]。また、日本人拉致被害者である地村富貴恵によれば、1985年1月頃、その3人が同居していた途中で淑姫がいなくなり、横田と田口が忠龍里一地区で2人で暮らすようになったという[13]。1985年末に同じ忠龍里の二地区に移された。二地区3号招待所には田口八重子と横田めぐみ、二地区4号招待所に地村一家、二地区6号招待所に蓮池薫・祐木子夫妻が住み、1号には小太りの日本人らしき中年男性、5号招待所には韓国人の金英男が住んでいた[13]。1986年春頃に八重子が腰痛のため915病院に入院したため、横田めぐみが1人残されたが、そこに近所に住んでいた金英男が通い、彼女から日本語を習うようになったという[13]。1986年7月、蓮池一家が忠龍里から大陽里の招待所に移された[13]。地村一家も大陽里に住んでおり、その年の秋、横田めぐみが金英男とともに移されてきて結婚、翌年の1987年に娘のキム・ヘギョン(キム・ウンギョン)が生まれた[14][15]。蓮池薫によれば、1986年秋から1994年3月まで蓮池の家族と横田めぐみの家族は大陽里で暮らしていた[16]。
2006年金剛山記者会見
北朝鮮側は当初金英男の存在を認めていなかったが、2006年6月8日には一転して「該当機関が存在を確認」と公表、さらに南北離散家族再会事業を通じて彼の母親に会わせるとの意向を表明した[2]。2006年6月28日、北朝鮮の景勝地である金剛山で母と姉に再会した[4][3][17][18][19]
翌6月29日、第14回南北離散家族再会事業の中、金剛山のホテルで記者会見が行われた[20][21][22]。そこで金英男は、自分が北朝鮮に渡った経緯を以下のように説明した。
全羅北道群山の仙遊島海水浴場に遊びに行ったとき、小さな船に乗っているうちにうたた寝をしてしまい、気がついたときは沖に流されてしまっていた。海上を漂流している時、偶然北朝鮮の船に発見され救助された。
しかし地元漁民によると、仙遊島から漂流することはありえない話だという[3][23]。この会見において、日本のマスメディアは参加を許可されなかった。また、参加を許可された韓国のマスコミも事前に質問事項を提出させられ、口頭での質問は受け付けられなかった。会見において「(金英男は)北朝鮮に拉致されたのでは」との質問を否定し「海で北朝鮮の船に救助され北に渡った」と回答した[注釈 1]。
その際、1986年に横田めぐみと結婚したこと、めぐみがうつ病などを患い、1994年に自殺で亡くなったことなどを話した[4][3]。「1993年に死んだ」とする手紙については、「錯覚だった」と述べた[8][16]。これは、蓮池はじめ帰国した拉致被害者が「1994年まで同じ地区に住んでいた」と証言したことが広く知られるようになってから、修正したものである[16]。また、娘1人をもうけたが、めぐみの死後、北朝鮮の女性と再婚したとも伝えた[3]。
横田めぐみについて
金剛山での記者会見において、金英男は、横田めぐみの生存について「1994年4月13日に病院で自殺した」と回答した(北朝鮮当局は、当初、横田の死亡を1993年3月と回答した)[4][3]。ただし、横田が死亡しているという明確な証拠・情報は、この会見でも出てこなかった[注釈 2]。
彼は日本の専門家によるDNA調査によって横田めぐみの遺骨が本人の物ではないとの結果が出たことに関しては、
偽物だという幼稚な主張は、夫である私とめぐみに対する侮辱であり、耐えられない人権蹂躙
と激しく日本側を非難した。横田との間の娘であるキム・ウンギョンの日本行きには「行かせたくないし、本人も行かないと言っている」と反対の姿勢を示した [6][注釈 3]。そして、「私と私の家族の問題が不純な政治的目的に利用されるのを防いでほしい」と発言し、拉致問題解決に向けて北朝鮮への圧力を強める日本政府の姿勢を批判した。
日本での反応
日本では、横田めぐみの両親(横田滋・横田早紀江)は「会えたのは良かったが、複雑な思い」と感想を語った。娘に関する新しい情報が公開されなかったことについては「北朝鮮の謀略や計画性が見え隠れするが、絶対に惑わされてはいけない」とし、冷静な対応を政府・国民に求めた。
当時の安倍晋三内閣官房長官は、「北朝鮮で自分たちの考えをそのまま述べることはできない」として、日本政府の関係機関の調査によれば、金英男の証言にはいくつかの矛盾点があるとした。日本政府として、引き続き生存者の早期帰国、真相究明、容疑者の引渡しなどを求めるとした。
「幸せな家庭生活を送っていたところ、1993年に突然病気でめぐみを失うという不幸が襲った」という手紙の筆跡について、2006年6月に日本の民間団体から疑問が提起されたが、それに対し、同年7月、金英男は平壌での記者会見で、この手紙が代筆によるものだと認めた[16][注釈 4]。
日本の主要メディアは「記者会見を北朝鮮当局の主張をなぞっただけ」とする論評を発表した。「毎日新聞」は、「金英男さんに事実を語れと言うのは無理な注文だ」として、会見の裏にある真実を見抜くよう韓国世論に注文した。また「読売新聞」「産経新聞」はそれぞれ社説で「北朝鮮で自由な発言ができるはずがない」とし、会見は拉致問題を幕引きする北朝鮮の意図が透けて見えると厳しく批判した。
韓国での反応
金剛山での会見に対しての韓国のメディア・世論の受け止め方は、28年ぶりの再会実現と高く評価しつつも証言内容を疑問視するなど、北朝鮮への期待感と不信感が混じり合ったものであった。
韓国政府は「対北政策の一貫した努力の成果」と会見を評価した(金英男が拉致被害者であった事を突き止めたのは、日本・韓国両政府によるDNA鑑定が決め手となっている)。また、横田めぐみの問題は日本だけの問題であり、韓国と日本が協力することではないとし、拉致問題解決に向けた日本との協力には消極的な立場を示した。
近年の動向・消息
金英男は、当初は党35号室という対外工作機関に勤めていたが、その後、貿易会社「朝鮮綾羅888」に勤務している可能性が高い[10]。金英男の娘は、記者会見で「父はルンラ(綾羅)という会社で働いている」と証言している[10][注釈 5]。
横田めぐみの両親、横田滋・横田早紀江は2014年3月、モンゴル国の首都ウランバートルで孫にあたるキム・ウンギョンと初めて面会した[3]。
報道によれば、横田めぐみが日本における拉致問題の象徴的存在となった一方、韓国拉致被害者500人以上の1人である金英男の存在は、韓国では忘れ去られた状況にあるという[3]。金英男の姉キム・ヨンジャは2014年7月2日、ハフポストのインタビューに対し「日本の安倍首相が解決に向け明らかに努力しているのを見ると、私たちの政府は何をやっているのかと思わざるを得ない」と答え、「私たちにできることは何もない」と述べて目に涙を浮かべた[3]。
金英男と横田めぐみの子、金ウンギョンは2020年6月に死去した横田滋(めぐみの父)の墓前に自分の名前で花を供えたいとの意向を仲介者を通じて伝えたが、同時に、韓国にある父方の祖母の墓前にも花を供えてほしいとの伝言を同時に託しており、韓国にいる金英男の姉に花代と一緒にメッセージを伝え、祖母の墓前には、姉の手で「金英男・めぐみの子、金ウンギョン」の名で実際に花が供えられた[5]。