和歌山一家8人殺害事件
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被害者は犯人Oの実兄A(事件当時42歳)と彼の妻B(同41歳)、そして彼ら夫婦の長男(同16歳)・長女(同14歳)・次男(同13歳)・次女(同10歳)・三男(同7歳)・四男(同3歳)の一家8人である。
犯人Oは戦時中志願して通信兵となり、中国戦線や北海道を転戦していたが、その間に和歌山市で暮らしていた実母が1940年(昭和15年)に死去した。実母はOより15歳年長の兄A一家と暮らしていたが、兄嫁Bから虐待されるなど「姑いじめ」を受けていた。Oはその家庭環境から逃げ出す為に兵役についていたが、その直後に実母は虐待死したと疑っていた。すぐにBに対し復讐しようとしたが、証拠もないうえに叔父になだめられたため、実行しなかった。
Oは1945年(昭和20年)10月に復員したが、当時の和歌山市は太平洋戦争末期の和歌山大空襲で焼け野原となっており、Oは当地でバラック住まいをしていたA一家の元に身を寄せる。1946年1月27日の夕食時、BはOの実母が心臓麻痺で苦しみ死んだ最期の形相を真似るなど、心ない仕草をする。これがOの復讐心に火をつけ、1月29日深夜にOは手斧と鑿を用意し、まずA・B夫婦を殺害、次いで彼らの子供6人も「両親がいなくなって不憫」という考えから皆殺しにした。
Oは「これは母の敵討ちだ、1か月後に自首する」などとする書置きをして逃亡したが、1か月しても出頭することは無かった。Oは長崎県内の炭鉱に偽名で働いていたが、「良心の呵責」に耐えられなくなったとして、1948年(昭和23年)3月19日に大阪府大阪市にある朝日新聞大阪本社に現れたところを逮捕された。