善勝寺 (前橋市)
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延暦年間または大同年間(790年 - 810年)にかけて勝道によって創建されたと伝えられる[1]。
大治4年(1129年)聖慶が薬師如来像を安置[2][3][4]、堂宇を建てて鳥取山自観寺と号した[1]。天白覚山住持の時、正嘉2年(1258年)に鎌倉幕府5代執権・北条時頼がこの寺に立ち寄り、寺領100畝を寄進したと伝えられる[4][1][2][3]。
永享3年(1431年)に円祐により伽藍が再建されて徳取山慧雲院自観寺と号した[4][1][2][3]。天文年間(1532年 - 1555年)に厩橋城主・長野左衛門尉により善勝寺と改められた[5][4][1][2][3]。永禄5年(1562年)厩橋城主北条高広の帰依を受け、城の鬼門にあたることから艮場山と山号を改めた[4][2][3]。加えて北条高広から寺領の寄進を受け、寺中諸役免除の安堵状を与えられた[4][1]。
慶安2年(1649年)には徳川家光から朱印地25石を与えられた[4][1]。文化2年(1815年)、慶応2年(1866年)に火災で堂宇を焼失したが[4]、1981年(昭和54年)に本堂再建[1]。
1874年(明治7年)1月24日、善勝小学校(現・前橋市立芳賀小学校)を開校し、善勝寺を校舎とした。明治13年に鳥取村に新校舎が落成し移転したものの、明治17年に南勢多第一小学校第一分校となるまで名称は善勝小学校のままだった[6]。
伝説
正嘉2年(1258年)に北条時頼が善勝寺を訪れた時のこととして、次のような伝説がある。その頃の住持、覚山は門前の桜の木をこよなく愛していたが、そこを出家の身となり諸国行脚をしていた時頼がたまたま訪れ、覚山と語り合った。時頼は桜を褒めるとともに、海がないのに塩釜桜があることに驚き、以下の和歌を詠み桜の枝に短冊を捧げた[7][8]。
海毛那久 磯辺毛遠幾 古乃里爾 何礼乃阿満賀 植之塩釜
(うみもなく いそべもとおき このさとに いずれのあまが うえししおがま)
この桜は既に枯れて現存しないが、貞享元年(1684年)の『前橋風土記』は、善勝寺の門前に長さ数十丈の桜の古木が2本存在し、花が開くさまは白雲が天を覆うが如くだったことを伝えている[2][9]。
