喜連川尊信
From Wikipedia, the free encyclopedia
元和5年(1619年)、下総国鴻巣で生まれた[1]。父は喜連川義親[1]。母は松月院(花房氏。榊原康政の養女[1]。康政側室の花房氏の姪。)。幼名は龍千代丸[1]。
寛永4年(1627年)7月、父の義親が祖父の頼氏より先に死去した[1]。寛永7年(1630年)6月、祖父の頼氏が亡くなり、遺領を継いだ[1]。頼氏は喜連川に居住していたが、祖母の足利氏姫や父の義親が古河城郊外の鴻巣御所に居住し続けていたため、尊信もこの相続まで鴻巣御所で暮らし、喜連川には住んでいなかった。尊信が喜連川に移った後、鴻巣御所および周辺の領地300石余は幕府に収公されて公儀御料となった後、古河藩領とされ、時宗十念寺の寺域となった。
正保4年(1647年)[要出典]、藩の主導権を巡って藩内で喜連川騒動が発生した[3]。慶安元年(1648年)、幕命により、7歳の嫡子昭氏に家督を譲り、致仕隠居した[1]。