四条隆宗 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 鎌倉時代後期-南北朝時代生誕 不詳死没 延文3年10月6日(1358年11月15日)改名 隆基→隆宗 凡例四条 隆宗時代 鎌倉時代後期-南北朝時代生誕 不詳死没 延文3年10月6日(1358年11月15日)改名 隆基→隆宗官位 正三位、内蔵頭主君 花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→後醍醐天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇氏族 藤原北家末茂流四条家父母 父:四条隆名、母:不詳子 隆郷、隆冬テンプレートを表示 四条 隆宗(しじょう たかむね)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正三位・四条隆名の子。官位は正三位・内蔵頭。四条家7代。善勝寺長者。初名は隆基(たかもと)。 侍従、丹後守、左近衛少将、内蔵頭を歴任。正慶元年(1332年)に隆宗(たかむね)と改名する。観応2年(1351年)従三位に叙せられ、公卿に列する。延文3年(1358年)正三位に昇進するも、同年10月6日の夜に自宅で盗賊に殺害された[1][2][3]。のちに盗賊は捕まったが、隆宗の首は道に置いてあったという[3]。 官歴 『公卿補任』による 延慶元年(1308年) 9月17日:叙爵(従五位下) 正和元年(1312年) 4月10日:従五位上 正和4年(1315年) 8月20日:正五位下。10月28日:侍従 正慶元年(1332年) 正月5日:従四位下。3月12日:丹後守。10月22日:左近衛少将 暦応2年(1339年) 正月5日:従四位上 暦応4年(1341年) 5月26日:内蔵頭 暦応5年(1342年) 正月5日:正四位下 観応2年(1351年) 4月16日:従三位 延文3年(1358年) 8月12日:正三位。10月6日:死去 系譜 父:四条隆名[1][2] 母:不詳 生母不明の子女 男子[1][2]:四条隆郷(1326-1410) 男子[1][2]:四条隆冬(?-1404以降) 出典 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。 脚注 1 2 3 4 『尊卑分脈』 1 2 3 4 『公卿補任』 1 2 『皇朝編年史』巻65 表話編歴四条家第7代当主 藤原隆季 藤原隆房 四条隆衡 四条隆親 四条房名 四条隆名 四条隆宗 四条隆郷 四条隆直 四条隆盛 四条隆量 四条隆永 四条隆重 四条隆益 四条隆昌 四条隆術 四条隆音 四条隆安 四条隆文 四条隆叙 四条隆師 四条隆考 四条隆生 四条隆美 四条隆謌 四条隆愛 四条隆徳 Related Articles