国対政治

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国対政治(こくたいせいじ)とは、日本の国会において野党国会対策委員長同士が本来の議論の場である国会の本会議委員会(理事会を含む)とは別の場で、円滑な国会運営を図る為に非公開での話し合いを行って国会運営の実権を握る事をさす言葉。

帝国議会において各会派の協議の場であったのは、各派交渉会であった。これは、1904年の第21回帝国議会にて、院内各会派の代表者が議長の下で非公開に打ち合わせ、協議したことにさかのぼる。第74回帝国議会にて各派交渉会規定が制定され、成文化された。戦後には国会法が成立し(1946年)、常任委員会中心主義が採用された。院内運営は新設の議院運営委員会(議運)に委ねられたが、各派交渉会も並存しており、役割分担について議論が行われた。議院運営委員長の浅沼稲次郎は、議運は主に議院運営に関する原則を定め、日々の議事運営は各派交渉会で行っていくとしていた。第1回国会においては、議運と各派交渉会の一部メンバーが重複しており、両機関の決定の一体化がなされた。しかし日本社会党民主党国民協同党の連立政権である片山内閣において、臨時石炭鉱業管理法案をめぐって鉱工業委員会は紛糾した。各派交渉会にて自体収集が図られるも上手くいかず、院外の与党協議会の合意によって調整がなされた。この混乱から、第2回国会にて各派交渉会は廃止され、院内での政党間協議は議運に一本化された[1]。また、連立政権内の合意形成のため、社会党・国民協同党内に国会対策委員会(国対委員会)の機関が創設された。これ以降、各党にも国対委員会が設置されていく[2]

第3回国会にて吉田茂が首相に返り咲くと(1948年)、民主自由党国会対策小委員会を作り、幹事長広川弘禅官房長官佐藤栄作、官房次長橋本龍伍とともに毎日朝9時に国会対策について協議するようになった。1949年の衆議院選挙では民主自由党が勝利し、危機感を持った野党側は満場一致を原則としていた各派交渉会の復活を求めるようになった[3]。これ以降、与党は数の力で国会運営の支配を強めていく一方で、安定的な国会運営のために多数決に拠らない政党間調整の場をとして国体委員会の重要性が高まった。また、常任委員会の仕組みが定着すると議運の各委員会への影響が強まり、政党間調整は議運(院内)と国対委員会(院外)の二重構造で調整されるようになった[4]

1960年60年安保や、1965年日韓基本条約での強行採決の後、1968年自民党幹事長田中角栄による「話し合い」「根回し」と称する野党の懐柔策から国対政治が本格化された[5]

55年体制での国対政治の現実として、与党自由民主党日本社会党公明党民社党の3党の国対幹部と頻繁に連絡を取り合い、機密費を原資とした料亭での接待や金品の授受などの裏取引を行って、強行採決や乱闘などを事前の筋書き通りに行うことで、双方の支持団体に「面目が立つ」ようにして国会の運営を円滑にしていた。ただ、日本共産党は裏取引の内容を中央機関紙赤旗』に暴露するという民社党の指摘で、1970年代中頃以降は排除されていた。

1980年代には社共共闘の解消と社公民路線に伴い、議案採決や日程について社会党も加えた共産党を除く全ての政党の間で調整が図られ(オール与党)、「表で対立、裏では協調」が進められていた。有名な所で金丸信-田邊誠渡部恒三-大出俊梶山静六-村山富市小里貞利-野坂浩賢などの例があった。

1993年8月6日成立の細川内閣のもとでは「密室」「談合」等の従来の批判をうけて、政党によっては党組織の名称から「国会対策」の名称を取り除いたところ[6] が出たりするなど、国対政治の機能は影を潜めた。しかし、1994年自社さ連立政権による村山内閣成立では国対政治で築いた自民・社会両党のパイプが大きく影響したといわれている。なお、55年体制崩壊後においては金品のやり取りはなくなったとされている[7]

1996年橋本内閣の下での住専国会で自民党と新進党の両党がピケ戦術と審議拒否の応酬を繰り広げたことで国対政治の重要性が再認識されて小渕内閣の下で復活。旧民社党が推し進めた日本共産党排除も解消され、与野党や野党連合の幹事長会談には共産党の書記局長が他党の幹事長と同列に参加するようになった。こうして与野党同士の国対政治は共産党を含む主要全会派を巻き込んで続くことになった。その後登場した、日本維新の会などの新党も排除されず国対政治に収まっている。

評価

小沢一郎は、55年体制が「自民党と社会党は地下茎でつながっていて、国会が止まったりするのは芝居。すべて実質的に全会一致だった」[8] とし、保守二大政党制導入による国対政治からの脱却を主張している。

脚注

参考文献

関連項目

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