土浦宿 From Wikipedia, the free encyclopedia 種類古代宿場所在地茨城県土浦市座標北緯36度04分58秒 東経140度12分03秒 / 北緯36.0827度 東経140.2008度 / 36.0827; 140.2008座標: 北緯36度04分58秒 東経140度12分03秒 / 北緯36.0827度 東経140.2008度 / 36.0827; 140.2008土浦宿土浦宿の街並み種類古代宿場所在地茨城県土浦市座標北緯36度04分58秒 東経140度12分03秒 / 北緯36.0827度 東経140.2008度 / 36.0827; 140.2008座標: 北緯36度04分58秒 東経140度12分03秒 / 北緯36.0827度 東経140.2008度 / 36.0827; 140.2008茨城県における土浦宿の位置茨城県の地図を表示土浦宿 (関東地方)関東地方の地図を表示 土浦宿の現代地図に旧水戸街道の道筋を重ねた地図。 土浦宿(つちうらしゅく)は、水戸街道千住宿から11番目の宿場町。現在の茨城県土浦市大手町・中央1・中央2・城北町付近にあたる。 土浦は土浦藩の城下町で、城は土浦城(亀城)。水戸街道は、土浦城の東側を、複雑な枡形を繰り返しつつ迂回している。土浦宿は、土浦城の東側・南東側の一角で、南西から北東に700メートル程度の範囲で広がっている。本陣は2ヶ所(山口家・大塚家)あったとされるが、いずれも残されていない。 土浦は、城下町であったほか、霞ヶ浦水運の拠点地でもあり、物資集積地としても栄えた。 旧街道筋には古建築が残っている。また、短い区間ではあるが、景観が保存されている。 真鍋宿 土浦宿の北方1キロ程度の場所に「真鍋宿」があった。現在の茨城県土浦市真鍋3付近。土浦宿とは極めて近く、間の宿とも土浦宿の一部とも言える。坂下には鹿島街道との追分、坂上には筑波街道との追分があったことから、その2つの追分に挟まれた坂道を中心として栄えた。 真鍋宿を中心とする真鍋町は、明治以後も土浦とは別の町として続いたが、1940年(昭和15年)に土浦町と合併、土浦市が発足した。 周辺 土浦宿 常福寺・愛宕神社 - 土浦宿の南側に位置する寺社。愛宕神社は、2007年現在も茅葺屋根の本殿を持つ。 吾妻庵 - 創業1873年の蕎麦屋。母屋は築200年、商店部分も築100年という。 矢口酒店 - 1800年代中期建築の土蔵建築。茨城県指定文化財。 まちかど蔵・大徳 - 江戸時代末期の土蔵建築。元は呉服店。土浦市が譲り受けて観光案内所となっている。裏手に本陣のひとつがあったとされる。 まちかど蔵・野村 - 1800年代末期の出桁作り・土蔵建築。元は砂糖問屋。観光案内所として使われている。 ほたて - 大規模な角地出桁作りの商店。てんぷら屋として現役。 土浦商工会館 - もうひとつの本陣の跡地。 醤油・国分商店が土浦で生産を江戸中期に始め、江戸に送られて消費され、過去には江戸で醤油のことを「むらさき」(筑波山)、「おひたち」(常陸)と呼ばれた。 真鍋宿 旧土浦中学校本館 - 真鍋宿坂上にあり、国の重要文化財。 隣の宿 中村宿 - 土浦宿 - 中貫宿 中村宿 - 土浦宿は一里(約4キロ)。 土浦宿 - 中貫宿は一里六町(約4.7キロ)。 真鍋宿と中貫宿の間の板谷には松並木と一里塚が残されている。江戸時代の街道筋には松並木が整備されたが、水戸街道で松並木が残されているのはここだけとなっている。 表話編歴水戸街道宿場 千住宿 - 新宿 - 松戸宿 - 小金宿 - 我孫子宿 - 取手宿 - 藤代宿 - 若柴宿 - 牛久宿 - 荒川沖宿 - 中村宿 - 土浦宿 - 真鍋宿 - 中貫宿 - 稲吉宿 - 府中宿 - 竹原宿 - 片倉宿 - 小幡宿 - 長岡宿 - 水戸宿 関所 金町松戸関所 脇街道 佐倉街道 - 磐城街道 - 棚倉街道 - 南郷街道 - 茂木街道 - 那須街道 - 結城街道 - 瀬戸井街道 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles