真鍋 (土浦市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
世帯数と人口
土浦市の中心部、新川より北に位置する商業地であり、教育施設も多く存在する。おおむね南から真鍋一丁目、二丁目、三丁目、四丁目、五丁目、六丁目が設定されている。1940年(昭和15年)までは新治郡真鍋町に所属していたエリアにあたり、住居表示により1975年に成立した町名のひとつにあたる。地域の西側に国道125号および国道354号が並走する形で南北に縦断し、その東側に真鍋の旧市街地が広がる。
2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 真鍋一丁目 | 268世帯 | 454人 |
| 真鍋二丁目 | 387世帯 | 746人 |
| 真鍋三丁目 | 240世帯 | 470人 |
| 真鍋四丁目 | 838世帯 | 1,829人 |
| 真鍋五丁目 | 357世帯 | 705人 |
| 真鍋六丁目 | 721世帯 | 1,480人 |
| 計 | 2,811世帯 | 5,684人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
| 町丁 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 真鍋一丁目 | 全域 | 土浦市立真鍋小学校 | 土浦市立土浦第二中学校 |
| 真鍋二丁目 | 全域 | ||
| 真鍋三丁目 | 全域 | ||
| 真鍋四丁目 | 全域 | ||
| 真鍋五丁目 | 全域 | ||
| 真鍋六丁目 | 全域 | ||
歴史

江戸時代には土浦藩領であった。幕末の天狗党の乱の際は天狗党による焼き討ちにあっている。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により新治郡真鍋村・木田余村・殿里村から真鍋町が成立。真鍋村は真鍋町大字真鍋となる。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 真鍋町が土浦町と合併し、土浦市が発足。真鍋町大字真鍋は土浦市大字真鍋となる。
- 1975年(昭和50年)5月1日 - 土浦市3次住居表示整理事業により大字真鍋の大部分が真鍋一-六丁目、西真鍋町、東真鍋町、真鍋新町となる[6][7]。
2014年現在で虫掛・常名・殿里に囲まれた新川北岸部分が大字真鍋として残存しているが、行政区上はこの区域は田中町に含まれており、実質的に廃止されている。
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前 |
|---|---|---|
| 真鍋一丁目 | 1975年(昭和50年)5月1日 | 真鍋 |
| 真鍋二丁目 | ||
| 真鍋三丁目 | ||
| 真鍋四丁目 | ||
| 真鍋五丁目 | ||
| 真鍋六丁目 |

