坂田将人

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1993-03-12) 1993年3月12日(32歳)
身長
体重
175 cm
72 kg
坂田 将人
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県朝倉市
生年月日 (1993-03-12) 1993年3月12日(32歳)
身長
体重
175 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト5位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

坂田 将人(さかた まさと、1993年3月12日 - )は、福岡県朝倉市出身[1]の元プロ野球選手投手)。

プロ入り前

小学4年からソフトボールを始める。中学時代は、地元の朝倉ドジャーズに所属し2年時から投手を務めた[1]

祐誠高校への進学後は、1年時の秋からベンチ登録。3年時には、春季九州大会で奪三振を量産するとともに、チームをベスト4に導いた。夏の全国大会の福岡県予選では、福翔高校との3回戦で、2点リードの6回に一挙5点を失って敗退した。

2010年のドラフト会議福岡ソフトバンクホークスからの5巡目指名を受けたことを機に、入団へ至った[2]。入団当初の背番号は67

ソフトバンク時代

2011年には、三軍戦で16試合に登板。65イニングを投げて9勝を挙げた。失点はわずかに10で、66三振を奪ったことから、奪三振率は9.14に達した。一・二軍とも公式戦への登板機会はなかったが、10月10日みやざきフェニックスリーグ・対読売ジャイアンツ(巨人)戦で二軍戦デビューを果たした[3][4]

2012年には、左肩を故障した影響で、一・二軍とも公式戦への登板機会はなかった。三軍戦への登板も4試合にとどまった。左肩の故障は深刻で、手術しても完全な復帰を保障できないほど[5]だったが、シーズン終盤の9月12日に左肩上方関節唇を手術[6]同月27日からリハビリを開始した[7]

2013年には、左肩のリハビリに専念したため、実戦登板の機会はなかった。10月7日に球団から支配下選手契約の解除を通告[8]されたが、秋季キャンプには参加。11月30日には、育成選手契約を結んだことや、背番号を120に変更することが球団から発表された[9]

2014年に、三軍戦で26試合に登板。83イニングを投げて、防御率2.17、奪三振率8.35を記録した。10月17日には、みやざきフェニックスリーグの対埼玉西武ライオンズ戦の先発投手として二軍戦に復帰[10][11]。シーズン終了後に派遣されたプエルトリコウィンターリーグ[12]では、11月11日から28日まで4試合(先発で2試合)に登板した[13][14]。しかし、12月6日腰痛を発症したため、リーグ戦の途中で日本への帰国を余儀なくされた[15]。なお、育成選手に関するNPBの規定に沿って、10月31日には前年に続いて自由契約選手として公示[16]12月18日には、育成選手として再契約を結んだことが球団から発表された[17]

2015年6月28日ウエスタン・リーグ公式戦・対中日ドラゴンズ戦(KYBスタジアム)で、先発投手としてリーグ戦デビュー。巨人とのファーム交流戦(7月25日雁の巣球場)では、先発で5回表まで巨人打線を1安打に抑えると、7回2安打2失点という内容で二軍ながら公式戦初勝利を挙げた[5]。シーズン通算では、ウエスタン・リーグ公式戦9試合に登板。47回を投げて、3勝2敗、41奪三振、防御率2.11という成績を残した。さらに、シーズン終了後の11月27日には、支配下選手契約を結んだことが球団から発表された。支配下登録選手への復帰は自身2年振りで、復帰後の背番号は49[18]

支配下選手に復帰した2016年だが左肩痛の影響で一、二軍とも公式戦での登板はなかった。9月9日には左肩上腕二頭筋腱の手術を受けたことが発表された[19]10月4日、球団から戦力外通告を受け、12月2日に自由契約公示された[20]。同日、育成選手契約締結が発表された。背番号は120[21]

2017年は前述の手術のリハビリを続けていたが、二軍戦、三軍戦ともに登板するまでには至らなかった[22]10月3日に球団から戦力外通告を受けた[23]。トライアウトを受け、現役続行することを希望している[22]。10月31日、自由契約公示された[24]

BCリーグ・栃木時代

2017年12月21日ベースボール・チャレンジ・リーグ(ルートインBCリーグ)の栃木ゴールデンブレーブスへの入団が発表された[25]

2018年7月13日、怪我の治療のため、練習生契約に変更となった[26]。以降、選手契約に復帰することなく、2020年10月2日に球団が退団を発表、自由契約公示された[27]。栃木での在籍3年間も肩の調子は回復せず、公式戦に出場できない練習生として過ごし、練習の合間に治療を続け、治療でアルバイトができないため貯金を取り崩して生活していた[28]

栃木退団後の12月7日明治神宮野球場で開催された12球団合同トライアウトに参加し、最高球速138km/hで投球できる状態まで回復していることをアピール。田上健一に四球を与えるも、藤井亮太を空振り三振、白崎浩之を内野フライで打ち取った[29]。坂田は、家族にユニホーム姿を見せる最後の機会という考えで参加したが、きちんと投げられるという感覚をつかめたことで、現役続行を決意した[28]

BCリーグ・茨城時代

2021年2月26日、栃木と同じリーグの茨城アストロプラネッツに入団することが発表された[30]。入団発表時点では練習生となっていた[30]。3月6日のクラブチーム一球幸魂倶楽部との練習試合で試合復帰し、実に5年半ぶりの対外試合での登板となった[28][31]。3月20日には関西独立リーグとの交流試合にも登板した[32]

4月1日にリーグが公示した開幕戦登録選手リストに背番号47として記載され[33]、4月4日のチーム開幕戦となった古巣の対栃木戦に登板し[32]、ソフトバンク時代の2015年のウエスタン・リーグ以来6年ぶりに公式戦登板を果たした。茨城では中継ぎとしてリーグ2位の44試合に登板し、防御率2点台を記録した[34]。シーズン終了後の10月10日、2021年限りでの現役引退を表明した[35]。退団に際し、ピッチングコーチ兼S&Cコーチの小山田拓夢は「彼のお陰で私はこの1年を戦い抜くことが出来たと言っても過言ではなく、彼には心から感謝しています」とチームに対する貢献度を称賛した[36]

現役引退後

引退後は栃木ゴールデンブレーブスの経営母体であるエイジェックグループのエイジェックスポーツマネジメントの社員となる[37] 。その後、エイジェック学園スポーツ健康医療専門学校へ進学、卒業後はATPフィットネス治療院で勤務[38]

2026年1月16日、現役最後に在籍した茨城アストロプラネッツにトレーナーとして入団することが発表された[38]

選手としての特徴

流れるように投げる美しい投球フォームが特徴。投手としては小柄な体格[5]で、ストレートの最速記録は138km/hながら、切れ味とコントロールは「(入団当時にソフトバンクのエースだった)杉内俊哉に匹敵する」と評価されている[2]

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

独立リーグでの年度別投手成績





















































W
H
I
P
2021 茨城 4400001230.33320846.151514-5312020152.911.40
通算:1年 4400001230.33320846.151514-5312020152.911.40

背番号

  • 67 (2011年 - 2013年、2018年 - 2020年)
  • 120 (2014年 - 2015年、2017年)
  • 49 (2016年)
  • 47 (2021年)

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク

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