坪田十郎
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生い立ち
播磨国飾東郡八代村(のち兵庫県飾磨郡城北村[5][6]、現・姫路市八代[7][8])生まれ。坪田重吉の長男[4]。先代坪田十郎の養子となる[9]。
家は豊かではなく、幼児より困苦窮乏、幾多の艱難と戦う[9]。19歳のころ兵庫県巡査となり、高砂警察署に勤める[7][9]。1892年、明治法律学校(現・明治大学)を卒業する[8][10]。
実業家として
兵庫県の伊藤長次郎に聘せられて同家の商業本部取締役となる[9]。さらに神戸地所部差配人となる[9]。神戸市山手通りの開拓に従事した他、徳島瓦斯(現四国ガス)社長、播磨造船所(現IHI)監査役など、多くの企業の経営に参画した。
政治家として
神戸市会議長、兵庫県会議員などを経て、1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙で神戸市2区から当選。1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙で神戸市2区、1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙では兵庫県1区から当選し、通算3期衆議院議員を務めた。立憲政友会に属した[5]。
1925年(大正14年)9月17日死去。
人物
貧家より身を起す[7]。
