永江一夫
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岐阜県恵那郡陶村(陶町を経て現瑞浪市)で生まれた[2]。苦学して1924年(大正13年)関西学院高等商業学部(現在の関西学院大学)を卒業[2]。在学中、1921年(大正10年)神戸の川崎造船所・三菱造船所争議に参加[2]。卒業後、福徳生命に入社し、同時に社会運動に参加し日本労農党、日本大衆党に属した[2]。
1929年、神戸市会議員となる。1937年、第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後4期務めた。日本社会党右派に属した。1947年、片山内閣で文部政務次官に就任。1948年に芦田内閣で農林大臣に就任するも東洋製粉事件に絡み、3期目任期途中となる11月9日付で衆議院議員を辞職した[3]。その後1949年から1963年まで衆議院議員総選挙に5回連続で落選。この間1960年の民主社会党(民社党)結成に伴い副書記長、中央執行委員に就任する。1967年の第31回衆議院議員総選挙で当選(4期目)し、約19年ぶりに国政に復帰する。
1972年11月の秋の叙勲で勲四等から勲二等に叙され、旭日重光章を受章する[4]。
