城ヶ島灯台
神奈川県三浦市にある灯台
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概要
歴史
1648年(慶安元年)、三崎奉行安部次郎兵衛が島東端の安房崎に烽火台を設置したのが起源とされる。1678年(延宝6年)には烽火台は幕府の命によって島西端の西山(現在の位置)に移設され、魚の油を燃やす行灯式の灯明台となる。1721年(享保6年)には三崎代官河原清兵衛によって松薪による篝火に変更された。光達距離は約八里、燃料費は浦賀に入港する船舶から徴収し、城ヶ島には燃やした松の炭を使う刀鍛冶もいたと言われる。

1867年(慶応3年)、幕府は諸外国の灯台建設の求めに応じ、観音崎、野島崎、品川第二砲台、そして城ヶ島の4ヵ所に灯台建設を計画した。フランス製灯器の使用が決まっていたため、横須賀製鉄所の首長として招かれていたフランス人技師レオンス・ヴェルニーに建設を依頼、明治維新を経て1870年(明治3年)9月8日(旧暦8月13日)に初点灯を迎えた。日本の西洋式灯台としては観音埼灯台(1869年2月)、野島埼灯台(1869年12月)、品川灯台(1870年3月)、樫野埼灯台(1870年6月)に次ぐ5番目の点灯である。建設費は750両永660文(灯台機械購入費含まず)、建設当初は塔形(円形)の煉瓦造であった。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生し、設置当時の灯台は灯塔、附属舎共に完全に倒壊した。その後1926年(大正15年)8月1日に白色塔形(円形)コンクリート造で再建及び再点灯され、現在まで使用されている。1928年(昭和3年)、城ヶ島への電灯敷設に伴って光源がアセチレンガスから電灯となり、光度が 20,000 cd から 120,000 cd へ引き上げられた。戦前、城ヶ島周辺海域で演習が行われる際には明弧の制限も行われた [1]。1991年(平成3年)に無人化された。
なお、1870年以降城ヶ島の東側には灯台が存在しなかったが、周辺が遠浅の岩礁地帯で通航に危険を伴うとして、1962年(昭和37年)に安房埼灯台が設置されている。