堅田 (砲艦)
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播磨造船所で建造。建造番号70[2]。1922年11月に相生の工場に於いて仮組立が完了[3]。解体されて上海へ運ばれ、1923年1月25日に揚樹甫の東華造船所で本組立起工、同年7月16日に進水し、10月20日に完成した[3]。二等砲艦に類別された。
1931年6月1日、砲艦に類別変更。翌年の第一次上海事変において、上海や長江方面の警備に従事した。1937年7月から開始した支那事変において、上海陸上作戦の支援、長江遡行作戦に加わった。
1941年12月、太平洋戦争が勃発。堅田は揚子江部隊に加わって活動したり、漢口から上海までを往来して警備任務についていた。1942年5月から9月の間、浙贛作戦に参加。堅田は他の砲艦2隻、特設砲艇4隻と組んで洞庭湖部隊として、陸軍部隊の作戦に呼応して湖内に進入し、敵拠点に砲撃を加えた[4]。
1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。1945年4月2日、九江で米空軍機の攻撃を受け大破着底し、その後引揚げられ、終戦時には上海で曳航された状態であった。1947年5月3日に除籍された。
艦長
- 艤装員長
- 艦長
- 土居政道 少佐:1923年10月20日[6] - 1924年2月5日[7]
- 須賀彦次郎 少佐:1924年2月5日 - 1924年6月21日[8]
- 後藤英次 少佐:1924年6月21日 - 1924年7月15日[8]
- 樋口通達 少佐:1924年7月15日[9] - 1925年12月1日[10]
- 加藤正 少佐:1925年12月1日[10] - 1927年6月1日[11]
- 浜屋七平 少佐:1927年6月1日[11] - 1928年5月10日[12]
- 須賀彦次郎 少佐:1928年5月10日 - 1930年1月15日[8]
- 伊藤賢三 少佐:1930年1月15日 - 1932年1月28日[13]
- 木村昌福 少佐:1932年1月28日 - 1932年9月20日[8]
- 松良考行 中佐:1932年9月20日 - 1933年11月15日[8]
- 古賀善吾 中佐:1933年11月15日[14] - 1934年11月15日[15]
- 鎌田正一 中佐:1934年11月15日[15] - 1936年12月1日[16]
- 川瀬薫 少佐:1936年12月1日[16] - 1937年11月15日[17]
- 藤谷安宅 中佐:1937年11月15日[17] - 1938年12月1日[18]
- 斎藤泰蔵 中佐:1938年12月1日 - 1940年4月15日[8]
- 多田野佐七郎 中佐:1940年4月15日[19] - 1940年10月1日[20]
- 山本政治 少佐:1940年10月1日[20] - 1941年9月10日[21]
- 松崎辰治 少佐:1941年9月10日[21] -